秩父から奥多摩へ、山葵の交易路

秩父から奥多摩へ、山葵の交易路

第二十五話

秩父から奥多摩へ、山葵の交易路

 

所要時間:約6時間30分

主要山域:仙元峠(埼玉県、東京都)

難易度:★★☆

 

アクシーズクイン・エレメンツでは、山間の集落をつなぐために使われていた生活の道を“クラシックルート”と呼び、古くも、新しい歩き旅を提案する。その第二十五話となる今回は、埼玉の秩父地方から、東京の奥多摩方面へと山葵や米などの交易品を運んだ仙元峠へと向かうことにする。

 

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浦山川沿いに置かれた大日堂の建物の裏手へとまわると、朽ちかけた木製階段がつけられた急な登り坂を進んでいった。右手に持った手拭いを額へとあてると、汗を拭い、息を切らせながら標高を稼いでいった。気を抜くと滑り落ちそうなほど急な斜面から、いま来た道を振り返る。すると、さきほど訪れた神社の御堂の屋根が杉林のなかに見えていた。

 

大日堂の歴史は、1523(天文2)年にはじまる。眼下に見えている御堂は1820(文政3)年に建てられ、その後に幾度か修復されたものであるという。神社の本尊となる大日石像は、いま僕たちが向かっている奥多摩の日原方面から仙元峠を越えて運ばれてきたものである。また、例年10月の第4土曜日と日曜日に行われる「浦山の獅子舞」も、日原方面から伝わったと考えられていて、ほかの秩父の地域における型とは異なる獅子舞が踊られるという。

 

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大日堂からの急登が続いた尾根道は、ひとつ目の送電塔が見えるころになるとようやく穏やかになってきた。尾根道沿いは草原となっていて、木影に遮られていた日光が直接肌にあたりはじめた。蒸し暑さを感じてきたので、足をとめて保温着を一枚脱ぐことにした。

 

かつてこの場所は、「一の休ん場」と呼ばれていたそうだ。たしかに、浦山川からの急登を続けたあとで汗を拭い、ひと休憩とするのに適当な場所である。ここからは雑木林のなかの快適な尾根道が続くことになる。

 

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尾根道を歩くこと、約3時間30分。ぱあっと明るくなった東側の斜面から日光が差し込むと、仙元峠に到着した。そこでは、小さな石宮が僕たちを待っていた。なかをよく見てみると「富士浅間神社祈尊」と記された札が置かれている。年号は、「大正六年五月」とある。

 

仙元峠は交易の道として利用されるとともに、富士山遥拝の道としても親しまれていた。かつての仙元峠からは、奥多摩の山々の向こうに雄大な富士山を眺めることができたようだ。しかし、いまは木の葉に覆われており、その姿を拝むことはできなかった。

 

一般的な峠とは、稜線が低くなった鞍部にある。これに対して、仙元峠は標高約1,444mの頂きに置かれている。峠を目指した人々が山頂に到達すると、ここではじめて遙か彼方にある富士山の姿を目にすることができたのである。峠に置かれた石宮は、富士山の浅間大菩薩を分祀したものだという。峠や尾根の“仙元”の名は、浅間神社に由来するのであろう。

 

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体力に自信のないものは石宮を拝み、ここで富士山のたたずまいを眺めてから秩父方面へと引き返した。いっぽう心身ともに健康な人々は日原へと向かい、御師の家で一泊。翌朝になると、一石山神社の参拝をしたのちに、いまは奥多摩湖がある小河内村から甲州を抜けて、富士山山麓の富士吉田を目指した。

 

まだまだ体力がありあまっていた僕たちは、日原を目指す。東京都と埼玉県の県境に位置する尾根道を辿って1時間ほど経過すると、「一杯水」へと到着する。この下には避難小屋があり、もともとは交易のための荷渡し場であった。小屋が建てられ、なかには寒さを凌ぐための炉があり、焚き木や水瓶などが秩父側と奥多摩側の共用物として備えてあったのだ。

 

仙元峠までの急登を越えなくてはならないため、通常は一俵(16貫=約60kg)の米俵を十二貫(約45kg)にするなど、ほかの交易物資も通常よりも小さく梱包して運ばれたという記録が残っている。

 

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冷たい一杯水の湧き水で喉を潤すと、僕たちは御師の宿があった日原へと向かって山道を下っていった。かつての日原は、山葵の栽培地として知られており、この峠道を歩いた交易人によって秩父の浦山へ、さらには信州の山葵問屋まで持ち込まれた。

 

徐々に標高を落としていくと、ヨコスズ尾根の途中で石灰岩が壁のように露出しているところがある。かつてこのあたりは「両替所」と呼ばれ、日原鍾乳洞にある一石山神社の賽銭を持ってあがり、峠を越えてくる参拝のために両替をしていたのだという。

 

さらに下、滝入ノ峰の頂を少し回り込んだところには、「大茶屋」と呼ばれた一軒の茶屋があった場所がある。木々の隙間に視線をうつすと、谷の向こう側の山々の景色が見えていた。暑い夏の日に、ここで微風に涼みながら一杯の茶を飲むことができたら、なんと幸せであろう。

 

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日原までの尾根道を歩いていると、雑木林のなかに鮮やかなヤマツツジの花が咲いていた。その花に見とれながら木々を見上げると、カエデの葉から日光が透けていた。秋になったら、ここは紅葉がとても美しいのだろうな。僕は、木々の葉が赤色や黄色に彩られた晩秋の景色を想像した。

 

登山道の右手に杉林、左手に雑木林を見ながら標高を落としていく。深い谷の下に日原集落の家々が見えてきた。さらに標高を落としていくと、民家の軒先を登山道が抜けていった。

 

地図を確認して見ると、日原から標高約1737mの鷹ノ巣山へと続く稲村岩尾根を越えていくと、奥多摩湖へ向かう道に「浅間尾根」と記されている。僕たちが歩いてきた仙元尾根から峠道を越えてから、富士山山麓の浅間神社へと向かう山道が続いているのである。

 

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舗装路へ出てまもなくすれば、東日原のバス停へと到着する。ここから鍾乳洞までは徒歩で20〜30分ほどの道のりである。時間が許せば、かつての旅人たちに倣って一石山神社で参拝をして帰路につくのもよかろう。

 

今回の僕たちの旅は日原で終えることにする。だけれども、日原の御師の家に一泊して、かつての旅人たちのように富士山をさらに目指して歩いてみたい。そんな思いに駆られながら、一日を終えるのであった。

 

 

 

文◎村石太郎 Text by Taro Muraishi
撮影◎松本茜 Photographs by Akane Matsumoto

取材日/2023年6月5日

 

(次回告知)
次回、第二十六話となる「The Classic Route Hiking」は2024年10月23日(水)更新予定です。三重県内で南北に連なる鈴鹿山脈を越える千種街道を歩き、戦国時代に発掘がはじまってから明治末期まで銀や銅などが盛んに掘られていた御池鉱山跡地を目指します。

 

 

 

(アクセス方法ほか)
ACCESS & OUT/登山口とした浦山大日堂までは、秩父駅前から市営バス「ぬくもり号」が運行されている。ただし、便数が限られており、到着時間が遅くなってしまうためタクシーの利用をすすめる。帰路は、東日原か中日原、もしくは鍾乳洞にバス停があり、奥多摩駅まで西東京バスが運行している。こちらは1時間に一本程度の便数となっている。

 

「The Classic Route Hiking」では、独自に各ルートの難易度を表示しています。もっとも難易度が高い★★★ルート(3星)は、所要時間が8時間以上のロングルートとなります。もっとも難易度が低いのは★☆☆ルート(1星)となり、所要時間は3〜4時間、より高低差が少なめの行程です。

 

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