伊豆の浅田家と、ワサビの道と。
第三十八話
伊豆の浅田家と、ワサビの道と。
所要時間:約6時間
主要山域:猫越岳(静岡県)
難易度:★★☆
アクシーズクイン・エレメンツでは、生活のために山間の集落をつないだ道を“クラシックルート”と呼び、古くも、新しい歩き旅を提案する。
第三十八話では、静岡県伊豆市でワサビ作りをはじめた浅田徳次郎の軌跡を追う。大正時代に林業を営んでいた彼は、自宅から片道3時間ほど山道を歩いた場所で豊富な湧き水を見つけ、そこでワサビ栽培をはじめている。
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修善寺を出発した路線バスが伊豆半島の中央部を貫く国道414号線を南へ、南へと向かう。湯ヶ島にある温泉街を抜けてから、まもなくすると「発電所入口」というバス停に到着する。そこで車両を降りた僕たちは、本谷川の川岸方向へと降って、小道の先の橋を渡った。そこに浅田家が5世代にわたってワサビ作りをする「滝尻わさび園」がある。
大正時代、徳次郎が見つけた湧き水は、現在の滝尻わさび園がある場所から、山道を3時間ほど歩いた仁科峠あたりにあった。彼は、営林署の作業小屋で寝泊まりしながら、そこで数日間を過ごしながらワサビを栽培していたという。
大切に育てたワサビは、刃物で葉まわりを取り除いてから背負子に積むと、ふたたび片道3時間の山道を歩いて帰ってきた。1930(昭和5)年、徳次郎は自宅近くで豊富な湧き出る水源を見つける。大雨のあとも濁らず、晴天が続いたとしても枯れることなく、こんこんと湧き水が流れ出していたのである。
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徳次郎がはじめた仁科峠付近のワサビ田は、彼が亡くなった2年後となる昭和15年に息子であった伝次によって松崎にあった水産会社に譲られている。浅田家の5代目として「滝尻わさび園」を引き継ぐ浅田芳孝さんは想像を含めて、「いまある場所ではじめた栽培地は、日々の売り上げに加えて、ワサビ田を手放した資金で広げていったのではなかろうか」と話す。
浅田家のワサビ田は、2代目の伝次によって敷地面積が広げられ、彼の実の弟である源蔵が3代目となった。そして芳孝さんの父親である浅田正孝さんから、芳孝さんへと引き継がれてきた。だが、徳次郎が仁科峠あたりでワサビ作りをはじめたのは確かだけれども、正確な場所は誰も知らない。
「水産会社に譲渡する前に、いまいる自宅の場所から10分ぐらい沢を遡ったところで徳次郎が湧き水を見つけているんです。現在もそこで、ワサビを栽培しています。片道 3時間かけていくよりも、 自宅から10分歩いたところで作ったほうがいいですからね。それで仁科峠のワサビ田は売って、ここで栽培地を広げていったんじゃないかと思うんです」
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「仁科峠方面へ行こうとすると、いまは西伊豆伊東線といっている県道52号線を使うんです。でも、県道はなく、車も持っていない時代ですから、いまここにある自宅から恐らく南下していって滑沢という沢沿いに太郎杉あたりから登っていたんじゃないかと思うんです」
そんな芳孝さんの言葉に誘われて、滝尻わさび園を出発した僕たちは滑沢沿いの遊歩道を歩いていた。川端康成の伊豆の踊子にちなんだ「踊子歩道」から脇道へと逸れると、沢沿いに作られた山道を辿る。よく手入れがされた杉林が広がり、その対岸にワサビの栽培地が連なっていた。
踊子歩道の途中にも、栽培をしなくなったワサビ田跡と思われる石積みを見つけることができる。これまで気がつかずに歩いていたけれど、これほど身近な場所で栽培されていたことに驚かされる。
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滑沢沿いの遊歩道歩きは、まもなくすると林道歩きとなった。その後、奥へ、奥へと進んでいくと次第に登山道となる。渓流を囲うようにワサビ田が作られていて、青々とした葉っぱが放った香りを嗅ぎながら歩を進めることとなる。登山道脇には作業用のモノレールが敷かれており、ワサビ田と平行して滑沢峠方面へと続く。
「このあたりでも夏は 最高気温は 30度℃前後まで上がりますし、冬は 0度℃になります。でも湧き水は、 摂氏10度℃から 15度℃ぐらい。つまり、水温は 5度℃ぐらいしか上がり下がりしない。ある程度一定の状態を保っているんです」
夏が涼しく、冬も暖かな伊豆半島では、湿った風が暖流に乗って吹いてきて大量の雨を降らせる。浅田芳孝さんは、こうした温暖な気候と、不純物が少ない湧水がワサビ栽培に適しているのだと話す。
さらに、火山が連なる伊豆半島では、排水性の良い火山灰が降り積もり、その下にある硬い岩盤層が地下水を浸透させずに溜まる。ここに水の通り道ができて、山の斜面にあたると地下水が豊富に湧き出してくる。この湧き水を利用して作ったのがワサビ田である。
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伊豆半島でワサビ栽培がはじまったとされるのは、1744年である。椎茸作りを行っていた板垣勘四郎が、湯ヶ島の椎茸栽培を伝えるために静岡市の有東木へと訪れたことがきっかけだ。
有東木ではワサビ栽培が盛んで、板垣は有東木と湯ヶ島が地形や水質が似ていることに着目して、故郷でもワサビ栽培ができるのではないだろうかと考えた。
そのとき彼が持ち帰った苗や栽培技術が広まり、湯ヶ島でワサビ栽培が盛んとなる。1800年代初頭に最盛期となり、大滝、宿、西平、長野、金山という5つの地区で172軒がワサビ作りを行なっていたという記録が残っている。
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滑沢沿いのワサビ田から離れ、「滑沢峠」という道標に従って杉林のなかを歩いていくと山の斜度が増していき、一気に標高を上げていった。滑沢峠までの道中は不明瞭であったり、一部で崩れかけている場所もある。気がつくと、周囲は美しいブナ森となり、日の光が登山道を照らして明るくなってきた。
まもなくすると、滑沢峠へと到着する。ここからは明瞭な登山道が尾根伝いに続き、展望も一気に広がる。これまでの渓谷沿いの登山道から景色が一転する。
滑沢峠から尾根道を歩くこと約3時間。猫越峠の展望台から仁科峠方面を眺めていると、一羽のトンビが大きな翼を広げて青空を自由に舞っていた。眼下には駿河湾が広がり、その奥に富士山や南アルプスが連なっている。
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猫越峠の展望台からの景色を味わうと、僕たちはここまで歩いてきた道を引き返すことにした。往路で聞いた沢の音が気になり、その場所を見に行くと、岩の隙間から勢いよく石清水が流れ出ていた。
「ワサビは、伊豆半島のように湧き水が豊富なところでしか栽培できないんです。米を作る田んぼは、水をせき止めて温められた水で稲が大きくなる。ワサビ田というけれど、つねに新しい水が流れていないと育たないんです。つねにかけ流し状態です」
そんな5代目となる芳孝さんの話を思い出すと、僕は「徳次郎さんは、きっとこんな湧き水を見つけて、ワサビ田をはじめたのだろう」とつぶやいた。右手で石清水をすくって口のなかに含むと、すっと汗が引いていくような清涼感に包まれる。
いつまでも空は晴れわたり、海から吹き上げてくる心地よい微風が吹いている。こんな場所で数日間を過ごしながら、ワサビの栽培をはじめた徳次郎のことを想像する。一仕事を終えて汗を拭って、炊きたての白米を椀に盛っている姿である。そこにカツオ節をいっぱい振りかけて、擂ったばかりのワサビをのせた「わさび飯」を頬張るのである。
文◎村石太郎 Text by Taro Muraishi
撮影◎宇佐美博之 Photographs by Hiroyuki Usami
取材協力◎サンカクスタンド(https://sankaku-stand.com)
取材日/2026年4月3日
次回の「The Classic Route Hiking」は2026年6月24日(水)更新予定です。第三十九回では、若狭湾にある港町である小浜から京都へと鮮魚を運んだ道として知られる通称「鯖街道」を歩きます。
ACCESS & OUT/今回の出発点は、国道414号線沿いにある道の駅「天城越え」から歩きはじめて、踊子歩道から滑沢ぞいに滑沢峠へと向かった。帰路は、往路と同様の道を辿って道の駅まで戻った。
「The Classic Route Hiking」では、独自に各ルートの難易度を表示しています。もっとも難易度が高い★★★ルート(3星)は、所要時間が8時間以上のロングルートとなります。もっとも難易度が低いのは★☆☆ルート(1星)となり、所要時間は3〜4時間、より高低差が少なめの行程です。
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