The Classic Route Hiking

小林家が馬と歩いた尾根の道

小林家が馬と歩いた尾根の道

第八話

小林家が馬と歩いた尾根の道

 

所要時間:約9時間00分

主要山域:月夜見山、風張峠、浅間嶺(東京都)

難易度:★★★

 

かつて山間の集落をつなぐために使われていた生活の道を“クラシックルート”と呼び、古くも、新しい歩き旅を提案する。第八話となる今回は、東京都檜原村にある最奥の集落、藤倉集落に国の重要文化財として保存される古民家「小林家住宅」に住んだ家族が利用した尾根道を巡る。標高約750mの古民家から炭焼き場がある山腹へ向かい、そこから馬の背に木炭を乗せて運んだ尾根道を辿る。

 

東京都の北西部にあり、山梨県と埼玉県に接する檜原村は、島嶼部を除く都内唯一の村である。その最奥部に位置するのが藤倉集落であり、小林家住宅は標高約750mの土地に建つ山の民の家である。驚くほど急峻な山の中腹にある古民家へのアクセスは、最大斜度40度のケーブルカーに乗って訪れることができる。その山麓駅は標高約599mの地点にあるが、これは高尾山の山頂と同じ高さである。

 

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この朝、僕たちはJR武蔵五日市駅から路線バスに揺られて、檜原村の藤倉集落へと向かった。築300年を超える小林家住宅への玄関口となる藤倉のバス停までは、約50分の道のりである。市街地から林のなかに民家が点在する山道となり、雲ひとつない青空が急峻な山の斜面の向こうへとほとんど隠れてしまった。

 

藤倉集落に降り立つと、舗装路を少しだけ引き返す。分岐点を右へ、右へ進み、急勾配になった車道を辿って春日神社へと向かった。背後の丘の上には、近隣の子供たちが通った藤倉小学校跡があり、神社脇に「小林家住宅・徒歩約30分」という看板が掲げられている。

 

藤倉小学校跡のさらに奥へと続く舗装路の先に、2軒の民家があることがわかる。そのうちの一軒の主、小林茂雄さんがたまたま通りかかったところに話かけてみると、かつて集落が見舞われた災難について「もともとは、このあたり一帯に8軒の集落があったの」と教えてくれた。

 

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祖父が小林家住宅で生まれたという茂雄さんは、この古民家を訪れた人たちに建物の歴史や当時の生活風景を解説するなどのもてなしをしている。重要文化財に指定されたのは昭和53(1978)年。しばらくは普通の民家として小林家の人たちが住んでいたが、改修工事を終えたあとの平成27(2015)年に一般公開が始まった。

 

「昔は、ここらへんには8軒の家があって、それで八株(やっかぶ)と呼ばれていてね。小林性と小泉性、田之倉性の家族が住んでいたんだけど、1軒を残して、すべて土砂崩れに巻き込まれて流されちゃったの。それで危険だというので、あっちへいったり、こっちへいったりして。山に隠れて見えないけれども、いまも山腹に家が点在しているんです。小林家住宅も、そのときに危ないっていっていまの場所に引っ越したんですよ」

 

小林家のおもな生業は、炭焼きであった。木炭は家をあたためるための燃料として、調理に使う火力として必要不可欠であり、山奥にある藤倉集落のような山村でも燃料を求めてやってくる人が大勢いたそうだ。また、炭焼きは家族にとっては大切な現金収入源となった。

 

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茂雄さんは、小学生のときから畑仕事を手伝ったり、燃料として必要な薪を拾うなど山仕事をしていたと思い起こす。そんな子供時代を振り返り、「山のなかで枯れたのがあれば、それを持って帰ってきていたの」と笑った。近代になると小林家でも養蚕を始めたが、それは生活必需品だからでなく、贅沢品として求められたことで貴重な現金収入になったからだった。

 

「家の作りは炭焼きをしていたほうが古くて、養蚕をしていた家のほうが新しいの。いまから200年くらい前から蚕を育てるための家になってきている。お蚕をするために2階部分が広くなっていて、作業ができるように作られていたんです。でも小林家住宅は、もっと古くて炭焼きの家。お蚕もやっていたけれども、2階部分は古い作りだから歩き回るような作りになっていないんです。梁が多くてね、頭をぶつけちゃうの(笑)」

 

茂雄さんは、子供のときに本当はもっと勉強もしたかったけれど、仕事ばかりさせられていたと苦笑する。そんな当時を思い起こすと、「裕福でないから、子供も一緒に働かないと生活ができなかったんですよ」と顔を曇らせた。

 

「小学生くらいになると、学校から帰ってくるとすぐに野良仕事を手伝えと言われてね。猫の手も借りたいくらいで、親は勉強よりも仕事を優先させたんです。うちの父親はね、炭焼き職人みたいなもん。朝なんて真っ暗なうちからね、山の中腹においた炭焼き窯へ出掛けていくんですよ。夜明けとともに炭焼きの仕事をはじめられるように出発するの」

 

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小林家住宅をあとにした僕たちは、茂雄さんに教わった尾根道へと向かった。この道は、かつて小林家の人たちが馬の背に木炭を積んで歩いた生活の道であった。徐々に標高を上げながら山道を辿っていくと、立派な茅葺き屋根で守られた小林家住宅を見下ろすことができる。そこからさらに進んでいくと、杉林のなかに続く快適な尾根道となる。途中には7000〜8000年前に使われた竪穴式住居跡があったことを知らせる石碑があり、時代は異なるけれど周辺にはいくつかの炭焼き窯も作られた。

 

まもなくすると小河内峠である。八株の集落に住んでいた人たちは、この峠を越えて、現在ではダム湖の下に沈んでしまった小河内村の村民たちと交流を続けていた。いまは武蔵五日市の街へと簡単にアクセスすることができるけれど、かつては街へと向かうための谷の道を使うことは危険が伴った。川の氾濫や土砂崩れに見舞われることが多く、尾根道を越えて峠の向こうにある集落へ行き来したほうが安全で効率的だったのだ。

 

小河内峠からの尾根の先には、昭和48(1973)年に奥多摩周遊道路が開通したが、舗装路の横にはいまも月夜見山(標高1,147m)を越える山道が続いている。ときおり荒々しい排気音を鳴らすオートバイやスポーツカーが通り過ぎるけれど、山村に住んでいた人たちだけが歩いていた江戸時代と変わらない静けさに包まれることも多かった。

 

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月夜見山から風張峠へと歩を進め、幾度か舗装路を横切りながら浅間尾根へと向かう。この尾根道には、いまでは温泉地として知られるようになった数馬集落と、藤倉集落とを結ぶいくつもの峠道がつけられている。

 

それまで木々に覆われていた景色が、浅間嶺に到着すると急に視界が開けた。心地よい微風が吹き、長時間歩いて汗ばんだ体を涼しくしてくれる。眼下を流れる北秋川の向こう側に、今朝歩いてきた山の尾根を見渡すことができた。

 

浅間尾根は、かつて甲州街道の裏道として使われた。現在の村役場近くには口留番所も設けられ、捜査や微税を避けたい人たちは浅間尾根から直接里へと降ったという。そのため、いまでも尾根の南斜面下にある集落、数馬や人里(へんぼり)、上川乗(かみかわのり)、北斜面側の集落の藤倉や小岩、小沢へと続く道がたくさん残されている。

 

浅間嶺までくれば、下山口とした払沢の滝はまもなくである。その途中、地図には「峠の茶店」の表示があるのだが、ここには木炭を運んできたときに泊まる馬宿があった。現在は蕎麦を出す茶屋になっているが、ここに1泊して翌日になるとまた尾根道を引き返して家路についたそうだ。彼らが運んだ木炭は、五日市にあった木炭市場へと持ち込まれたが、その運搬は宿が受け持っていた。

 

ちなみに、五日市という地名は毎月5日に市場が開かれていたことに由来している。戦国時代末期から木炭が集められて農家の軒先で売りはじめられたそうで、全国の四日市や五日市、十日市といった名称も市場が開かれた日にちから名づけられたのである。

 

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峠の茶店からは急勾配の舗装路を降り、檜原村の中心街へと向かう。民家の軒先を抜けていく脇道もあり、色とりどりの野草で色どられ、長年にわたって旅人たちを見守ってきたのであろう地蔵たちに迎えられる。

 

僕たちの前を歩いていた4人組の登山者は、充実した一日を過ごした様子であった。話しかけると笹平という集落から浅間尾根まで登って、僕たちと同じ道を辿って降りてきたところだという。無事に山登りを終えた安堵感と、街に降りてきた高揚感からか終始笑顔だ。

 

かつて炭を運ぶために尾根道を歩いた人たちも、馬宿に到着すると安心感に包まれ大いに一夜を楽しんだ。なかには五日市まで出向いて、木炭を売った稼ぎで大酒を飲んだり、博打に大金を注ぎ込んで全財産を失ったあげく、馬や牛はもちろん、所有する山まで接収されてしまったものもいたと聞く。笑い話ではすまされないけれど、大らかな時代の逸話である。

 

小林家の人たちが木炭を売るために歩いた道も、いまは余暇を楽しむための登山道となった。休む暇もなく仕事を続けた時代から移り変わり、週休2日制が当たり前となり、旅行やアウトドアに気軽に出掛けられるようになった。どちらの時代が幸せかの判断は分かれるかもしれないけれど、笹平から歩いてきた登山者の姿を見れば、その答えは明快でなかろうか。そんなことを考えながら、冷房の効いた路線バスに乗って家路に向かうのであった。

 

文◎村石太郎 Text by Taro Muraishi

撮影◎松本茜 Photographs by Akane Matsumoto

取材日/2021年9月22日

 

【次回告知】

第九話目の「The Classic Route Hiking」は9月14日(水)更新予定です。江戸と甲州を結ぶ旧青梅街道の峠道として利用され、山麓に広がる丹波山村の人たちにとって物資を運ぶための交易路として重用された大菩薩峠を歩きます。

ACCESS & OUT/出発地点は、JR武蔵五日市駅から西東京バスで約50分の終着点「藤倉」バス停である。登山口は、バス停から10分程歩いた春日神社脇にある。帰路は、下山口にある「払沢の滝入り口」のバス停から、JR武蔵五日市駅へと戻る。

 

「The Classic Route Hiking」では、独自に各ルートの難易度を表示しています。もっとも難易度が高い★★★ルート(3星)は、所要時間が8時間以上のロングルートとなります。もっとも難易度が低いのは★☆☆ルート(1星)となり、所要時間は3〜4時間、より高低差が少なめの行程です。

 

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