The Classic Route Hiking

檜原村の少女が柿の木を運んだ山道

檜原村の少女が柿の木を運んだ山道

第十話

檜原村の少女が柿の木を運んだ山道

 

所要時間:約5時間30分

主要山域:風張峠(東京都)

難易度:★★☆

本連載では、山間の集落をつなぐために使われていた生活の道を“クラシックルート”と呼び、古くも、新しい歩き旅を提案する。その第十話となる今回は、島嶼部を除いた東京都唯一の村として知られる檜原村の倉掛集落に住む女性たちが歩いた山道を辿る。

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まもなく90歳を迎えるところだと話す信子ばあさんと出会ったのは、倉掛集落に建つ民家の軒先だった。

「この柿は、小河内から背負ってきたのよ。昔は、このあたりには柿の木がなくてね。小河内村は水気が多いせいか、柿の木がたくさん植わっていたの」

それは、いまから70年以上前のことである。信子ばあさんは、いまでは大きな実をたくさん実らせている柿の木だが、苗は峠の向こう側の小河内村から持ってきたものだと教えてくれた。彼女が中学生のときのことで、親の手伝いで炭を背負って風張峠を越えていった帰り道であった。

「これは渋柿だよ。干し柿にするの。でもね、お猿さんが来て困っているんだよ。干す場所を知っているから。上手に取っていっちゃうのさ」

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今回の出発地点とした藤倉バス停へは、JR武蔵五日市から路線バスに揺られて約50分の道のりである。バス停からは、バスが走ってきた道を少し戻り、北秋川沿いの車道を辿っていく。まもなくすると赤い欄干のある落合橋があり、ここから本格的な登山がはじまる。

入り口が少し分かりにくいので補足すると、「檜原村消防団第三分団第三部機具庫」と表示された消防機具の倉庫がある。その三叉路のところに檜原村デマンドバス「やまびこ藤倉線」の月夜見入口バス停が置かれているが、その後ろの石積みのうえの手すりがつけられた階段が登山口だ。

信子ばあさんは、自身が子供の頃にはすでに落合橋のあたりまで道ができていたと話す。その頃はまだ、落合橋から倉掛集落への道は舗装されていなかったそうだ。そこは「三十三曲がめ」と呼ばれ、いまは地元の人たちによってモミジの木が植えられた登山道になっている。

かつての倉掛集落の子供たちは、ここを歩いて学校に通ったり、夕方になると自宅に帰っていったが、僕たちも三十三曲がめの急勾配になった登り道を歩いて倉掛集落へと向かった。少し斜度がゆるやかになると、竹林を抜けて「掬水山東安寺」という寺跡にでる。そこからは舗装路を辿り、まもなくすれば倉掛集落である。

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倉掛集落に住む人たちにとって、木炭作りが貴重な現金収入源であった。山の中腹に作った炭窯で木炭を焼き、落合橋まで降ろすと、そこからは牛方が操る牛車で五日市の市場のほか、ときには八王子まで運んだ。その帰り道には米などを牛車に乗せて運ばせた。

信子ばあさんは「この家は、牛方の家だよ」と話す。

「縄でふたつ大きな輪を作って牛車をつなげて、牛に引かせたんだよ。ここまでは道路がなったから、落合橋のところに牛車をおいてもらってたの。私が大人になるまであったよ。一番イヤなのはさ、おじさんが牛を野放しにしてまうんだよ。人間を囓ったとか、つつかれたって話はなかったね。一番の怖いのは離した牛じゃなくって、牛のうんこだって。道の上にしちゃうもんだから、踏むとペタンって滑って転んじゃうの(笑)」

小河内村から馬の背に木炭を背負わせて、倉掛集落へやってくる人も多かった。彼らは、信子ばあさんの自宅の庭で馬を休ませ、大きな市場があった五日市へと向かったという。

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信子ばあさんと別れた僕たちは、「ここから小河内へは風張峠に出たら、下へ降って行く道を歩いていけば小河内だよ」と教えられたとおり倉掛尾根沿いに作られた風張林道を辿って風張峠へと向かった。

途中、車道のうえにある山道を歩いていると古い炭窯跡が残されていた。恐らくこれは倉掛集落の人たちが使っていた炭窯跡なのであろう。そのあとは、奥多摩周遊道路をわたって月夜見山との分岐点を左手へと進んだ。徐々に標高を落としていくと、落ち葉で埋め尽くされた登山道となり、一歩踏み出すたびにカサカサという心地よい音を立てていく。

さらに尾根道を進み、もういちど奥多摩周遊道路を渡ると、奥多摩湖の南岸にある「山のふるさと村」のビジターセンターに到着する。園内は紅葉が見頃となっており、僕たちは右や左を見渡し、空を見上げながら、色づいた木々のあまりの美しさにため息をつくのであった。

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ビジターセンターからは「麦山浮橋(ドラム缶橋)、小河内神社バス停」という道標に従って湖畔に作られた遊歩道を歩く。30分ほどの湖畔散策をしていると遊歩道が右手に折れ、最後の楽しみとして麦山浮橋が待っている。通称、ドラム缶橋である。東西に長細い奥多摩湖の対岸へと渡るため、歩行者専用として麦山浮橋に加えて留浦浮橋のふたつが設けられ、かつては本当にドラム缶を浮力体としていたという。

同地には小河内村のほか、山梨県の丹波山村、小菅村の住民6000人、945世帯が暮らしていた。しかし1957年(昭和32年)、丹波川をせき止めるためのダムが完成すると、ほかの地域への移転を余儀なくされた。湖の北岸には、小河内地域にあった9社1祭神を勧請した小河内神社が創建されている。

この旅を締めくくる小河内神社への参拝に向かうため、ドラム缶橋へと鉄階段をおりていく。そして、浮橋に片足を乗せると、また一歩、もう一歩と進んでいった。水面に浮かんだ浮力体が浮き沈みを繰り返し、不思議な浮遊感と、左右に揺れる感覚に思わず笑みがこぼれる。

浮橋を渡りきると、半島のようになった河内岬の突端に奉られた小河内神社へ向かう。雲ひとつない青空から降り注ぐ太陽光が、奥多摩湖の水面をキラキラと照らしている。木々の葉は、赤や黄色、緑色に輝き、影になった幹と見事なコントラストを作りだす。

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信子ばあさんと同じように、昔は檜原村から小河内村へと歩いたと話す住民が多い。倉掛集落から近い藤原に住む舩木照枝さんは、倉掛尾根の一本北側にある陣馬尾根を伝って、小河内峠を越えて散髪に通っていたそうだ。

「河内というところで、床屋さんがあったの」と思い出す照枝さんは、炭を橇に乗せて小河内村に持っていったときに、髪の毛を整えてもらうのが楽しみだったと笑った。

彼女が歩いた小河内峠から奥多摩湖へくだっていく道は、残念ながら10年ほど前から通行止めとなってしまった。熊の目撃情報が多発するなどしたが、奥多摩湖の対岸へと渡るためには湖畔を長い距離歩かなくてはならず登山者が激減したのが大きな要因であろう。

昭和30年代の中頃になって、ようやく倉掛集落や藤原集落にも電気が開通する。それまではランプを灯しての生活だ。そのような時代に生活していた人たちのことを思いながら、大勢の登山客が待っているバス停へと向かった。傾きはじめた太陽に照らされた湖畔にある参拝道をあとに、僕は檜原村の信子ばあさんたちが、どんな思いで峠道を越えてきたかを想像する。

90歳を迎えようとしている現在もはつらつとして、竹竿で柿の実を採ろうとしていた姿を思い出す。きっと満面の笑みとともにやってきて、柿の木をひょいっと背負いあげてさっき歩いてきた道を意気揚々と帰っていくであろう。

 

文◎村石太郎 Text by Taro Muraishi

撮影◎松本茜 Photographs by Akane Matsumoto

取材日/2021年11月11日

 

【次回告知】

次回、第十一話となる「The Classic Route Hiking」は12月14日(水)更新予定です。奥多摩にある御岳山へと参拝に向かうための表参道として、もっとも古くから歩かれていた金比羅尾根を辿って小雪が舞うなか御岳参りに向かいます。

 

ACCESS & OUT/出発地点とした藤倉バス停へは、JR五日市線の武蔵五日市駅から西東京バスで向かった。そこから落合橋近くの登山口までは、車道を歩いて10分程で到着する。帰路は、奥多摩湖畔の小河内神社バス停から路線バスに乗って、JR青梅線の奥多摩駅に向かうなどするといいだろう。

 

「The Classic Route Hiking」では、独自に各ルートの難易度を表示しています。もっとも難易度が高い★★★ルート(3星)は、所要時間が8時間以上のロングルートとなります。もっとも難易度が低いのは★☆☆ルート(1星)となり、所要時間は3〜4時間、より高低差が少なめの行程です。

 

 

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