金比羅尾根からの御岳参り

金比羅尾根からの御岳参り

第十一話

金比羅尾根からの御岳参り

 

所要時間:約4時間30分

主要山域:御岳山、日の出山(東京都)

難易度:★★☆

本連載では、山間の集落をつなぐために使われていた生活の道を“クラシックルート”と呼び、古くも、新しい歩き旅を提案する。第十一話では “おいぬ様”として親しまれるニホンオオカミの神様を奉る「武蔵野御嶽神社」の参拝のため東京の奥多摩地区へ向かった。武蔵五日市駅から歩きはじめ、江戸時代以前の参拝者が歩いた金比羅尾根を辿って初冬の御岳参りへと出掛ける。

御岳山(標高約929m)への参拝において、もっとも多くの人が利用しているのが御岳登山鉄道のケーブルカーを利用して標高約831mに位置する御岳山駅まで標高を上げるルートであろう。駅前広場からは舗装された参道が続き、多少の登り下りはあるけれど老若男女を問わず誰もが気軽に訪れることができるようになっている。

 

しかしながら、かつての御岳山は山道を越えていかなければ辿り着かない修験道であった。御岳山の御師街にある宿坊「東馬場」に立ち寄ったときに、十四代目当主にあたる馬場克巳さんが話していた言葉が印象的だ。

 

「本来の道は、五日市からですからね。ケーブルができちゃったから、反対側が表参道みたいになっちゃったけど」

 

1929年(昭和4年)、多摩川沿いに延伸された旧青梅電気鉄道(現JR青梅線)に御嶽駅が開設され、さらに1934年(昭和9年)になると御岳登山鉄道のケーブルカーが開通したことで一気に人の流れが変わってしまった。

 

山麓にある御岳登山鉄道の滝本駅(標高約408m)から、歩いて御岳山駅へと向かうと50分程度を要する。同じ道でもケーブルカーを利用すれば、わずか6分で到着してしまう。しかも、座席に座ったまま、汗をかくこともなく登れてしまうのだ。ほとんどの参拝者が利用するのが理解できるし、わざわざ武蔵五日市方面から歩いてくるのは歴史好きなど一部の登山者に限られてしまうだろう。

この朝、僕たちは武蔵五日市駅に集まって、市街地から地図を頼りに登山口へと向かった。住宅街を抜けて15〜20分ほど歩くと、金比羅山(標高約468m)へと登っていく分かれ道を見つけることができる。

 

よく整備された道を1時間ほど進む。すると、まもなく休憩所がある金比羅山の山頂へと辿り着く。展望台から景色を眺めてみると、武蔵五日市の街並みが山間地に広がっている様子がよくわかる。陽光はあたたかく、少し汗をかくほどだ。僕たちは琴平神社に立ち寄ったあとで、広場に備えられたテーブルに座って小休止とした。

本格的な登山は、金比羅山の山頂から始まる。ただし、徐々に標高を上げていく道なので、息が上がることもなく快適に歩いていけるだろう。こうした古くから歩かれてきた山道は、できるだけアップダウンが少なく作られていることが多いのだ。

武蔵五日市駅の西側に位置する戸倉地区に住む吉沢代次郎さんは、子どもの頃から山に親しみ、さまざまな山仕事に務めてきた。90歳を越える年齢であるけれど、しっかりとした口調で「でも、おれは御岳山で山登りはあんまりやんなかったからなぁ」と大笑いして、若かりし頃を懐かしむ。

 

「御岳の信仰は、みんながやっていたわけではなかったな。あそこは犬の神様だよね。オオカミ(大神)。元日に行ったり、小正月の1月15日頃に行ったりしてね。ケーブルカーであがっていく参道の途中に、お土産屋さんが並んでいるところがあるじゃない。そのなかの一件が、うちの親戚の人がやっていたんだ。お宮へ行く手前で、参道の右左に店があるところ。そこへ、よく歩いて行ったね」

御嶽信仰のはじまりは弥生時代に起源があるとされ、次第に“おいぬ様”が信仰されるようになっていく。江戸時代になると、庶民のあいだで社寺詣が盛んとなり、御嶽信仰が武蔵国や相模国を中心に関東一円に広がっていった。

土木関係の仕事に務めていた代次郎さんは、仕事を請け負って御岳までよく歩いていったと話す。そのときに使っていたのは金比羅尾根ではなく、養沢川沿いから登っていく参道であった。この道は、すでに江戸時代には整備されていて、参拝者にとってのメインルートとなっていた。途中には、各地域で組織された「御嶽講」が盛んに行われていたことが分かる石碑や地蔵をいくつも見ることができる。

 

「車がなかったから、養沢まで自転車で行ったりしてね。それに、川の向こうに星竹っていう地域があるんだけれども、そこから金比羅尾根に直接登っていく道もあったんですよ。御岳まで、ずっと尾根道が続いていてね。金比羅山とか、日の出山を通っていくの」

金比羅山の山頂から歩を進めながら、僕は檜原村からやってきた馬方についての話を思い出していた。代次郎さんは、金比羅尾根をはじめ、周辺の尾根道を歩いていると、馬の背中に荷物を背負わせて、大きな市場があった五日市へと向かう馬方たちとすれ違うことがあったと話してくれた。

 

「檜原の人たちは炭とか、いろんなものを馬の背中に乗せて持ってきてね。帰りは、米とか食料を積んでいったりしてたの。土砂崩れとかがあったときは尾根道を通って、馬を連れてポカポカとやってきてたんだ。御前山を経由して、馬頭刈尾根から降りてきていた人もいたね」

 

確かに金比羅尾根は道幅が広くて、荷物を背負わせた馬も歩きやすかったであろう。そんなことを考えながら尾根道を歩き続けること約2時間。途中2回の小休止を挟みながら、日の出山方面へと向かっていく。すると、なにやら白いものが、ちらちらと宙を舞ってきた。

 

「あれ、雪だ」

歩みをとめて、空を見上げる。どんどん勢いを増して雪が降りはじめた。いま歩いてきた道を振り返ると、背後の森は霞み、あっという間に登山道が雪で覆われてしまった。草木のうえにも雪がのって、着ているジャケットや帽子も白くなっていった。

まもなく日の出山の山頂に到着するという頃、それまで激しく降っていた雪がぴたりとやんだ。急に現れた立派な石積みに驚きながら石階段を登っていくと、日の出山へと到着する。御岳山から見て日が昇ってくる方角に位置するため、その名がつけられたという山頂からは御岳山の御師街を眺めることができた。

 

山頂からまもなくすると、「東雲山荘」の山小屋を見ることができる。建物の前を通りかかると、気さくなスタッフが「寒いからストーブであったまっていって」と招き入れてくれた。

 

日の出山の山頂一帯は山城跡のように見えるけれど、これは戦後の復興期に地域住民の失業対策のため作られた石垣なのだそうだ。東雲山荘の建物も同様で、こちらは地域住民の仕事を授けようと、1937年(昭和12年)に建てられた。

 

そろそろ出発しようかと思い、山小屋の扉を開けると青空が見えはじめていた。ここから御岳山までは、30〜40分の道のりである。ほとんど平坦な道が続き、すぐに「武蔵御嶽神社」の鳥居をくぐることになる。その手前には、養沢方面から登ってくる2本の登山道が左手側から合流するけれど、鳥居の向きをみるともともとの参道が金比羅尾根にあったことがうかがいしれる。

日影になった登山道のうえには雪がまだ残っており、僕たちは雪のうえに足跡を残しながら御岳山へと向かった。杉の木の並木道のような登山道を進んでいくと、そのまま御師街のなかへと入っていく。そして、複雑に入り組んだ小道を歩いていき、石段を登ると御岳神社へと到着する。

 

参拝後は、ケーブルカーに乗って下山することにしよう。途中で宿坊「東馬場」の茶処で甘酒を楽しんで、十四代目当主の馬場克巳さんに金比羅尾根を歩いてきたことを報告したい。ふたたび武蔵五日市へと戻ることもできるけれど、楽をして文明の利器を利用させてもらうのだ。

まもなく迎える正月休みは、金比羅尾根をつたって御岳山まで初詣へとでかけてはいかがだろう。御師街で宿坊をして、翌朝の日の出を見てから参拝に向かうというのも味わい深い。これまでとは違った心持ちで、新しい年を迎えることができるのではないだろうか。

 

文◎村石太郎 Text by Taro Muraishi

撮影◎松本茜 Photographs by Akane Matsumoto

取材日/2022年1月20日

 

【次回告知】

次回、第十二話となる「The Classic Route Hiking」は2023年1月25日(水)更新予定です。霊山として知られた三ツ峠山の山頂を目指すとともに、かつて浮世絵師の葛飾北斎が「富嶽三十六景」で描いた旧御坂峠を越えていきます。

 

ACCESS & OUT/出発地点は、JR五日市線の武蔵五日市駅として、市街地を歩いて金比羅尾根へと向かった。帰路は、御岳山への参拝のあとで御岳登山鉄道のケーブルカーに乗って下山するといいだろう。もちろん、かつての参拝者のように武蔵五日市駅方面へと引き返すという強者も応援したい。なお、ケーブルカーの山麓駅となる滝本からは、西東京バスがJR青梅線の御嶽駅まで運行している。

 

「The Classic Route Hiking」では、独自に各ルートの難易度を表示しています。もっとも難易度が高い★★★ルート(3星)は、所要時間が8時間以上のロングルートとなります。もっとも難易度が低いのは★☆☆ルート(1星)となり、所要時間は3〜4時間、より高低差が少なめの行程です。

 

 

Gallery