軍道紙のペーパーロード

軍道紙のペーパーロード

第十三話

軍道紙のペーパーロード

所要時間:約8時間

主要山域:生藤山、市道山、臼杵山(東京都、神奈川県)

難易度:★★★

本連載では、山間の集落をつなぐために使われていた生活の道を“クラシックルート”と呼び、古くも、新しい歩き旅を提案する。第十三話では、東京都の無形文化財に指定される和紙「軍道紙」の産地であった東京都乙津村(現あきる野市)の軍道集落の人たちが、原料となる楮(こうぞ)を仕入れるために歩いた山道を辿る。

***1***

楮とは、高さ3メートルほどの落葉低木であり、その繊維は太くて強く、長いため和紙の原料として用いられてきた。僕たちは、その楮を仕入れるために歩いた山道があると聞いて、JR中央本線の藤野駅へと向かった。

 

午前7時25分、駅前から出発する路線バスに揺られて、10分程度で出発地点とした鎌沢入り口のバス停へと到着する。

 

「シルクロードでなくて、ペーパーロードって呼んでいるんだ。和紙の原料を運んだ道だからね。昔の写真を見たことがあるの。背負子にさ、ぎっしり楮の葉をしばりつけて山道を行ったり、来たりしていた写真だったの」

 

そんな話をしてくれたのは、あきる野市に住む鈴木肇さんだった。個人研究家として、長年にわたって地質をはじめ、民俗について調査を続けてきた。鎌沢入り口のバス停がある一帯は、佐野川地区と呼ばれ、かつては絹糸や木炭作り、茶葉の生産が盛んに行われてきた。同時に、楮を栽培する民家も多かったようだと鈴木さんは話す。

 

軍道紙の生産が盛んに行われていたのは、藤野から見て山の反対側に位置する軍道という集落である。この集落には紙すきを業としたものが多く、最盛期には2軒に1軒が和紙作りに従事していたという。しかしながら安価な洋紙が普及したことにより1964(昭和39)年、最後の紙すき職人が廃業したことで長年にわたって続けられてきた生産が終了した。

 

***2***

 

バスを降りてからは、「生藤山4.8km」と書かれた道標に従って沢井川に掛かる橋を渡った。そこからは1時間ほどの舗装路歩きとなるけれど、鎌沢沿いに建つ古民家や茶畑を眺めながら進んでいくと、あっという間に時間が過ぎていった。沿道には桜の木々が植えられていて、かれんな薄いピンク色の花を咲かせている。その見事な姿を眺めれば、山道でなくとも気分がいい。

 

「藤野とか、上佐野あたりは南向きのなだらかな斜面だから、楮を育てるのにすごくいいらしいね。生育が早い。五日市のほうでも楮は採れるけど、谷間でしょ。だからあまり生育がよくない。それで足りなくなっちゃうと、藤野だとか、上野原方面へ買い付けにいっていたそうですね」

 

楮の栽培は容易だが、とくに上佐野地区は南斜面なので日当たりがよく、生育に適していた。今日の天気は、そんな鈴木さんの話に納得するような好天である。

 

***3***

 

薄いピンク色の花、純白に近い花、八重桜のような濃い色の花。色とりどりの桜の花の香りを嗅いでいると、舗装路がいつのまにか砂利道になっていった。しばらくすると、鎌沢沿いの集落の終点となり、この先で登山道となる。

 

竹藪が広がっていた山道は、次第に小さな若葉を開いたばかりの雑木林のなかへと続くようになる。そこから1時間半ほどで展望台に到着する。桜の花が、ここでも出迎えてくれた。富士山を眺めることができる位置にベンチがあり、そこに座って水筒を取り出した。

 

桜の木の下に備えつけられたテーブル脇の案内板には、「桜のプムナード」とあり、ここがかつて桜見の名所だったことを伝える。小枝の先が細かくわかれて鳥の巣のような状態となる樹木の病気「テング巣病」に蝕まれ、開花しない状態が続いていたという。現在は、耐性に優れた山桜に植え直して、桜並木の再生を目指しているのだ。

 

***4***

 

ゆらゆらと、風に揺られて落ちてくる桜の花片を眺めた休憩を終えると、僕たちは生藤山(標高約990m)へと向かった。少し汗ばむほどの好天であり、ときおり谷間から冷たい風が吹き上がってきて、火照った体を冷ましてくれる。僕たちは、保温着を脱いで薄着になって歩いた。

 

そのままずんずんと進んでいくと、生藤山の山頂へと到着する。そこからさらに尾根道を進んでいくと、市道山(標高約795m)、臼杵山(同842m)、刈寄山(同687m)からなる戸倉三山へと向かう分岐点へと出くわすことになる。

 

市道山からの稜線歩きは、上へ、下へのアップダウンが続く。ときおり手を岩について歩くようなところもあり、思ったよりも手間取ってしまう。この登り返しを嫌って、かつては市道山から臼杵山までの稜線を歩くことを避けたという。楮を背負った村人たちは軍道集落から荷田子へと向かい、そこから荷田子峠を越えて盆堀川へと下った。いまは盆堀林道がある沢沿いを歩いて、千ヶ沢の出合いから沢をつめて市道山へと登っていったのだ。

 

「せっかく荷田子峠まで登ったのに、そのままグミ尾根を行かなかったのは登り、下りが多かったからね。グミ尾根から臼杵山、市道山と歩いていけば直線的にはいけるけど、川側の道のほうが楽らしい。千ヶ沢って行ったことある? いまは途中が崩れちゃって道らしきものがあまりないんだけど、ここから市道山にまっすぐ上る道があったんですよ」

 

僕は、市道山から少し北側に進んだあたりで、そんな鈴木さんの言葉を思い出していた。廃道の痕跡を探したけれど、見つけることはできなかった。それでも恐らく「このあたりなのかな?」などと想像しながら、登り、下りを続ける尾根道を伝って臼杵山へと向かうのであった。

 

***5***

 

小さな岩山をひょいと登ると、臼杵山の山頂に飛び出した。山頂には「臼杵山 標高842.1m」と道標がある。そこからは、木々の隙間から秋川沿いに広がる五日市の町並みを見渡すことができた。

 

軍道紙は高級紙ではなく、庶民の紙であったという。厚くて、丈夫だったため障子紙のほか、衣類の包装などにも用いられ、唐傘や合羽に使うためにアマニ油を染み込ませたりもしたようだ。ガラス戸のない時代には民家の窓に張って寒風を防いだが、山村では暖を取るために焚かれた囲炉裏の炭で黒くすすけるまで使っても破れないことも重宝されたという。

 

紙を漉くときにはトロロアオイの粘液「ネリ」を混入するが、温度が高いと粘りが弱くなってしまう。そのため、紙すきは冬場の仕事であり、夏場の農耕、養蚕や木炭作りのあいまの仕事として都合がよかった。

 

臼杵山からは杉の植林のなかを歩く道となり、どこからか材木を切り出すチェーンソーの駆動音がこだまする。山の反対側に見える斜面には、ところどころで森を彩る山桜が花を咲かせている。

 

山桜は花を咲かせると、若葉も開く。その彩りは、花だけを咲かせるソメイヨシノには負けるかもしれないが、この素朴な彩りもまた味わいがある。開花情報が報道されることもないので、山村に住む人たちか、山登りを趣味とする人くらいしか、いつが見頃かも分からないだろう。

 

***6***

 

臼杵山の山頂からグミ尾根を伝って1時間ほどすると、稲田子峠へと到着する。ここからは、道標に「荷田子0.6km・秋川渓谷 瀬音の湯1.7km」とある左手へと下っていくと、軍道紙の産地となる軍道集落へと続く。反対側の右手側は、いまはその痕跡しか残されていないけれど、かつて楮を背負って歩いた人たちが盆堀川へと向かった道がつけられていた。

 

稲田子峠から荷田子の集落へは、わずか15分ほどで到着する。暗い杉林を歩いてきたあと、視界がぱぁっと開けて、満開の桜、初々しい若葉が眩しく感じた。昔の村人にとっては容易い山道歩きであったかもしれないけれど、それでも荷田子に到着したときは大きな安心感に包まれたであろう。軍道集落までは、もう少しの辛抱であるが、どさっと背負った楮をここに降ろして、村人たちも一息ついたのではなかろうか。

 

文◎村石太郎 Text by Taro Muraishi

撮影◎松本茜 Photographs by Akane Matsumoto

モデル◎阿部静 Hiking Model by Shizuca Abe

取材日/2022年4月11日

 

(次回告知)

次回、第十四話となる「The Classic Route Hiking」は4月19日(水)更新予定です。秩父地方からの交易路として、江戸へと向かうときに使われた正丸峠へと向かう。その峠の名の由来となった正丸少年が母親を負ぶり、足腰の病に霊験があるといわれる子の権現までの山歩きを楽しむ。

(アクセス方法ほか)

ACCESS & OUT/今回の出発地点とした鎌沢入り口のバス停までは、JR中央本線の藤野駅から路線バスを利用して向かった。下山時は、荷田子峠から都道33号線にある荷田子バス停へと歩き、そこから路線バスでJR五日市線の武蔵五日市駅へと向かった。

 

「The Classic Route Hiking」では、独自に各ルートの難易度を表示しています。もっとも難易度が高い★★★ルート(3星)は、所要時間が8時間以上のロングルートとなります。もっとも難易度が低いのは★☆☆ルート(1星)となり、所要時間は3〜4時間、より高低差が少なめの行程です。