漆喰の原料を探して御岳山へ
第十四話
漆喰の原料を探して御岳山へ
所要時間:約4時間30分
主要山域:御岳山(東京都)
難易度:★★☆
本連載では、山間の集落をつなぐために使われていた生活の道を“クラシックルート”と呼び、古くも、新しい歩き旅を提案する。第十四話では、ニホンオオカミを奉る御岳山の御師町の家々で使われた壁材の原料となる石灰岩を探すため、山麓の養沢集落へと向かった。道中では、見事な炭焼き窯跡を見つけたり、石灰岩で覆われた神秘的な尾根道を歩くなど知的好奇心を大いに刺激する山歩きとなった。
第十三話にて、東京都の無形文化財に指定される和紙「軍道紙」について教えてくれた鈴木肇さんは、自宅のある養沢集落に住んでいてびっくりしたことがあるという。渓谷沿いに建てられた住宅の一室で、興味深い逸話を聞かせてくれた。
「この地区で、寄りあいみたいのがあるんです。その席で酒を飲むんですけどね、いい気分になってきた年配者たちが、さらに『これから飲みに行こうか』って言うんだよね。こんな山奥の集落だから、不思議に思って『どこに飲みに行くんですか?』って聞いたら、御岳だっていうんです。養沢から、さらに山の奥へ呑みにいくの(笑) 昔は提灯を持ってね、山道をずっと歩いていったらしんですよ。養沢から御岳へと、お嫁に行った人も多いそうです。それだから親戚も多くて、ドンドンと戸を叩けば開けてくれてね、酒を出してくれるんだって。御岳に住んでいたのは神社関係の人たちばかりですよね。御師とかね。それから参拝者が泊まる宿をやっていた人たち。だから、お酒もいっぱいあるんですよ」
そんな話をしながら鈴木さんは、なにかを思い出したように手を打った。御師町の建物の壁に使うための漆喰の原料となる石灰岩の採掘場だと考えている場所があるという。
「さっき軍道集落で和紙を作るために楮(こうぞ)を運んだ道だから、シルクロードでなくって“ペーパーロード”って話をしたでしょ。こっちは“石灰ロード”って言ってもいいかもしれないな(笑) でも、石灰岩を採ったというね、証拠はまだ見つけられていないんですよ」
その確証が得られるのは、石灰岩を割るために金鎚で打ったクサビ跡となる“箭穴(ヤアナ)”を見つけることだと鈴木さんは話す。
その証拠を見つけにいこう。そんな希望を胸に、僕たちは養澤神社へと向かい、「登山道入り口」と書かれた案内に従って境内の奥へと歩を進めた。しかしながら、その先には「ほかにも、もっと楽な道があるのでは?」、そう躊躇ってしまうほど急な斜面が待っていた。登山道脇に育った木の幹を支えにして歩かなければ、足元からずり落ちてしまいそうなほどの急登である。
急登から斜面が穏やかになりはじめたのは、神社の境内から汗をにじませながら15分ほど登ったあたりであろう。しかし、息を整えるまもなく、ふたたび急坂が出迎える。
養澤神社から続くサルギ尾根は、渓谷沿いの集落の人たちにとって山仕事をしてきた土地である。炭焼きや炭材を拾い、途中には木炭を焼いた窯跡が残されているという。その痕跡を見逃さないように歩いていると、登山道脇に大きくあいた穴のようなものを見つけた。
近づいてみると、その穴の内側は石積みとなっており、露岩となっている反対側には火入れを行うための焚口が作られている。傍らにあった切り株のうえには、あきる野市が設置した「炭焼き窯跡」の案内板がちょこんと置かれていた。
炭焼き窯跡からの道は、大きなアップダウンを繰り返した。よく手入れされた杉林から、次第に雑木林が広がりはじめ、ちょっとしたピークから御岳山や日の出山といった養沢対岸の山並を眺めることができた。
上高岩山の山頂を踏み、まもなく芥場峠だというころである。尾根道と、巻き道へと分かれる分岐点に到着した。直進方向を見ると、見事な石階段が尾根道に伸びており、ここがかつて御岳山や大岳山へと向かうための参道としても使われていたことがうかがい知れる。
分かれ道に立てかけられた道標には、真っ直ぐ進む方角に「尾根道・芥場峠を経て大岳山・御前山」とある。巻き道側にも同じように「芥場峠を経て大岳山・御前山」と表示されており、行く方角を思いあぐねた。しかしながら、僕たちは石階段が作られた方角へと誘い込まれるのであった。漆喰の原料となる石灰岩を採ったと思われる場所を教えてくれた鈴木さんからは、採掘場は尾根道にあると聞いていたためである。
歩きやすく、程よい段差の石階段は、近代に作られたものではないであろう。こんなに美しい石階段が山中に急に出てきたことを不思議に思いながらも、一歩、また一歩と登っていく。すると、石階段の左手に真っ白な石灰岩の小山が連なっていた。
そこで立ち止まって、苔に覆われた石灰岩のあちこちを見てまわった。注意深く岩肌を観察しながら、クサビ跡となる“箭穴”を探した。約10分後、膝下ぐらいの高さのところに、きれいに刳り抜かれた溝穴を見つけた。これが箭穴であろうか。でも、雨で浸食された石灰岩の岩肌を見るかぎり、この溝穴はきれいに削られすぎている。それに、びっしりと苔に覆われている様子から察するに、どうにも新しすぎる。
芥場峠で溝穴を見つけたことに多少の興奮を覚えながら、僕たちは御岳の御師町へとやってきた。江戸末期の慶応2(1886)年に建造されたという東馬場御師住宅の座敷に腰を降ろすと、14代目当主の馬場克巳さんに石灰岩に覆われた尾根道を歩いてきたことを伝えた。それが御師町で使われた漆喰の原料になったのかもしれないと話題を振ると、「あー、そうかもしれない」と言って、御岳の家をつくるときは近くの山から材料をみんな得ていたと教えてくれた。
「みんな昔は、そういう近くのものを使っていたから。この家の木材も、この山で伐ってきたものですよ。このうえには製材所もあって、そこで御師の家に使う木材を製材していたんですよね」
130年以上前に立てられた茅葺き屋根の建物内部は、浅葱色(あさぎいろ)という青みを帯びた漆喰の壁で作られている。これは真っ白な石灰に、顔料を混ぜることで青みをつけたものだという。
お汁粉をいただいたあとで東馬場御師住宅を見学すると、御岳の御師町から日の出山方面へと向かった。30分ほど歩いたところに分岐点があり、僕たちは右手へと向かい養沢の沢沿いの道へとくだった。
この山道は、江戸時代から御岳山への参道として使われてきたことで知られる。また、養沢集落の長老たちが提灯を手にしながら、酒を求めて歩いた生活の道でもある。その道中には、「三十三夜塔」、「御嶽山道供養塔」と刻まれた石塔や地蔵を見ることができる。建てられた年代を探ると、そこには弘化4(1847)年と刻まれている。
下山後、養沢集落に住む鈴木肇さんに「石灰岩に、小さな穴があけられているのを見たんです」と伝えると、「それは世紀の大発見かもしれませんね!」と喜んでくれた。しかしながら後日、残念なメッセージを受け取ることになる。現地まで観察にいってきた鈴木さんは、恐らくドリルで穴をあけたものだと推測した。
「あれは箭穴ではないですね。少なくともタガネで開けたものではない。ドリルでサンプルを採った穴に見えます。だとしたら、それは地質学者の仕事になります。謎めいて面白いですが」
御岳山周辺には、ところどころに石灰岩の地層がみられる。しかしながら、芥場峠の石灰岩こそ東馬場で見た浅葱色の漆喰の原料であると信じたい。芥場峠をはじめ、このあたりを水源とするアクバ沢の名前は、石灰岩の別名である灰汁(アク)からの転用だと考えられる。その芥場峠から御岳の御師町までは、奥の院などがある尾根道と、ロックガーデンがある谷道とのあいだに作られた中道を歩いてきたけれど、ほとんど高低差がないので運搬にも苦労しなかったであろう。
新しい溝穴は、誰があけたものなのか。謎は深まるばかりである。かつて御師街の家をつくった大勢の人たちが、御師町から芥場峠への尾根道に集まって、汗を流しながら石灰岩を削った姿を想像する。それだけでもワクワクしてくるのであった。
文◎村石太郎 Text by Taro Muraishi
撮影◎松本茜 Photographs by Akane Matsumoto
モデル◎阿部静 Shizuka Abe on Hiking Model
取材日/2022年10月19日
(次回告知)
次回、第十五話となる「The Classic Route Hiking」は6月14日(水)更新予定です。秩父地方からの交易路として、江戸へと向かうときに使われた正丸峠。その峠の名の由来となった正丸少年が母親を背負って、足腰の病に霊験があると伝えられる子の権現までの山歩きへとでかけます。
(アクセス方法ほか)
ACCESS & OUT/出発地点とした大岳鍾乳洞入り口のバス停までは、JR五日市線の武蔵五日市駅から路線バスを利用して向かった。サルギ尾根へと続く登山口は、バス停を降りてすぐの養澤神社の境内にある。下山後も同じく、大岳鍾乳洞入り口で路線バスに乗って、武蔵五日市駅へと向かって帰路についた。
「The Classic Route Hiking」では、独自に各ルートの難易度を表示しています。もっとも難易度が高い★★★ルート(3星)は、所要時間が8時間以上のロングルートとなります。もっとも難易度が低いのは★☆☆ルート(1星)となり、所要時間は3〜4時間、より高低差が少なめの行程です。