子馬を引いて歩いた十文字峠

子馬を引いて歩いた十文字峠

第十六話

子馬を引いて歩いた十文字峠

所要時間:約9時間30分(1泊2日)

主要山域:十文字峠(長野県、埼玉県)

難易度:★★☆

本連載では、山間の集落をつなぐために使われていた生活の道を“クラシックルート”と呼び、古くも、新しい歩き旅を提案する。第十六話では、信州と武州を結ぶ交易路であり、中山道と甲州街道の裏道として利用された十文字峠を訪れる。1里ごとに置かれた里程観音に道中安全を見守られながら、苔の森のなかを歩く峠越えの旅路である。

十文字峠越えは、埼玉県大滝村と長野県川上村をつなぐ峠道の旅である。秩父をはじめとした武州に住む人々にとっては、雁坂峠を経由して甲州文化が流入したように、十文字峠は三国峠と並んで信州文化を取り込んだ道であった。

 

江戸時代には五街道のひとつとして、京都から江戸へと結ぶ中山道の裏道として利用されていた。生活に必要な物資を運ぶための重要路であり、信州からは三峯道者と呼ばれる三峯神社への参詣者、武州からは善光寺参りで歩かれる信仰の道として賑わった。

 

***2***

 

旅の出発地点、毛木平は朝から雨が降っていた。台風から変わった温帯低気圧の影響で、まだ風も残っている。駐車場にある東屋のベンチに腰掛けて、僕たちはバックパックのなかから雨具を取り出した。

 

直前まで日程を延期するか悩んでいたけれども、雨も、風も、それほど強くなることはなさそうだ。そう予測して、やってきた。

 

広く快適な林道を進んでいくと、徐々に道幅が細くなり、気がつくと美しい苔の森が広がっていた。とても開放感がある苔の森である。こんな景色を見たのは、はじめてだ。太陽光が木々に遮られて、うす暗く、湿度が充満した苔の森ばかりを見てきた僕は、そんなことを思いながら歩いていた。

 

毛木平から、今宵の宿となる十文字小屋までは、わずか2時間の距離である。天候が悪化しても、それほどひどい目には遭わずに山小屋に到着できる。結果は、写真のとおり。雨を含んで、苔の森はみずみずしさを増していた。雨天を押しての決行は、大正解であったのだ。

 

***3***

 

毛木平から歩きはじめて千曲川の源流部にかかる立派な木橋を渡り、さらにもう一度渓流を渡ると、登山道脇の樹木の根本のところにひっそりと五里観音像が立っていた。観音像の左側には、置かれた年号、右側には作った人の名前が掘られており、「自梓山一里六丁 元治元年子六月」と刻まれている。

 

元治元年とは、西暦にすると1864年である。いまから160年近い昔に作られた里程観音は、関所があった栃本までのあいだに6体あり、五里観音は、秩父側から数えて5里のところに置かれた観音像である。信州側では、この里程観音は、立て札にあるように一里観音と呼ばれている。

 

五里観音からまもなくすると、石清水が流れる水場で喉を潤した。雨は、降ったりやんだりを繰り返している。江戸時代から昭和の初めまで、十文字峠を越えた旅人たちも、ここで水分補給をしたのであろう。僕は、かつての情景を想像しながら、石清水を手ですくって一口、二口を含んで霧に覆われた森を眺めた。

 

沢の向こう岸を見ると、背負い子を背負った登山者が急登を歩いている。追いついたところで話しかけると、今夜宿泊する十文字小屋の小屋番を務める宗村紀子さんである。食材など大量の荷物を背負った彼女は、「ゆっくり歩いているから、さきに山小屋に行っていてください」と笑った。山小屋では別のスタッフが僕たちの到着を待ってくれているという。

 

***4***

 

「十文字峠は、霧の峠だから。良いときに来ましたね」

 

そう言って出迎えてくれたのは、山小屋で留守番をしていた村田秀雄さんである。ガラガラと引き戸を引いて、小屋のなかに案内されると、「台風もこんなので、収まっていてよかった」と笑った。

 

土間のようになった下足場で雨具を脱いで、手拭いで汗を拭っていると、村田さんが「寒かったでしょう」と言って、ストーブに薪をくべた。マッチを一本取りだして火をつけると、湯を沸かして一杯の茶を入れていただいた。茶を喉にとおすと、体があたたまっていくのを感じる。雨脚が急に強まってきた。

 

そのとき、ガラガラと大きな音とを立てて小屋の引き戸が開いた。途中で追い越した宗村紀子さんが到着したのである。ずぶ濡れになった宗村さんは、雨具を脱ぐとストーブの前に腰を降ろす。額にタオルを巻きながら、ほっとした表情で村田さんが差し出した茶飲みに手を伸ばす。

 

***5***

 

宗村さんに小屋の歴史について尋ねると、「埼玉国体のときに建てたんですよ。山岳競技があったから」と話し、村上さんに同意を求めた。

 

昭和42(1967)年、埼玉県川口市と戸田市を中心に行われた第22回「夏の国民体育大会」(通称・国体)にて、奥秩父や奥多摩の山々を舞台にして山岳競技が行われ、そのときに十文字峠と雁坂峠に山小屋が建てられたのである。

 

そののち、十文字峠から埼玉県側に少し向かったところにあった四里避難小屋を管理していた先代の山中邦治さんがここへ移ってきて、50年近くを過ごした。十文字小屋の名物となったシャクナゲの花々は、客が来ないことに頭を悩ませた先代が山小屋のまわりに植えたものである。宗村さんが、小屋番を引き受けたのは、山中さんが引退した25年ほど前のことだという。

 

***6***

 

一晩中、屋根を強く叩いていた雨はまだやんではいなかった。昨夜は夕食をいただいたあとで日本酒を湯飲みに注いで、十文字峠についての昔話にはじまり、話題は山小屋の裏話へと巡った。

 

朝食には、山麓で取ってきたという特大のキノコが入った味噌汁が出された。十文字小屋の、もうひとつの名物である。山小屋の手前には、「きのこうどん 700円」との木製看板も掲げられている。

 

「毎年、秋になると一生懸命とってきてたの。それを、お客さんに出していたんです。前は、きのこ汁っていって、細々とやっていたけど。だけど、もう少しだけ付加価値のあるものをっていって、うどんになったの。甲武信ヶ岳から下りてきた登山者は、ちょうどここで昼食の時間になるから、『うどんください』ってなるんですよ。それで予想外に売れちゃったから、きのこも必死になって集めてきているんです(笑)」

 

下山途中で疲れた登山者は、この魅惑的な木製看板に抗うことはできない。大ぶりの、絶品きのこ入りうどんである。

 

***7***

 

朝食を終えると、僕たちは宗村さん、村田さんに別れを告げて、関所跡のある栃本へと向かった。霧に包まれた雑木林は神秘的で、林床は幾重にもなった苔で覆われている。

 

十文字峠一帯は千曲川と荒川であたためられた水蒸気が集まる場所である。一帯は霧に包まれることが多く、そのため美しい苔で林床が覆われているのだという。苔が登山道まで覆い尽くして、そのうえを歩かなければならないところもある。踏んで傷めてしまいそうだけれども、柔らかな苔の感触を感じながらゆっくりと足を置きながら進んだ。

 

四里観音、三里観音、二里観音と確かめながら徐々に標高を落としていく。四里観音と二里観音には、それぞれに避難小屋があり、室内で雨から逃げて休憩ができるのがありがたい。僕は、避難小屋のなかに腰掛けて、雨具を脱いで、屋根からしたたる雨粒を見つめた。

 

***8***

 

三里観音には、近くに「米継場跡」と呼ばれている場所がある。ここは秩父の栃本集落と、信州の川上村の中間地点にあたり、米などの物資の取引を場所であった。米のほかにも信州側からは酒、武州側からは絹織物の銘仙、煙草や塩、桶の輪竹などが運ばれた。

 

十文字峠は、馬の仲買人である馬喰たちが子馬を引き連れて歩く姿が夏の風物詩となっていた。八ヶ岳山麓の馬市で子馬を購入した馬喰たちは、綱で胴締めをした5〜6頭ずつの子馬を数珠つなぎにして峠道を越えた。八丁堀の難所を越えると、先頭の一頭にだけ綱をつけ、あとの馬の綱を外してもあとからおとなしくついてくるのだという。馬市が近づくと、子馬が通れない丸太橋や高い段差があると、数日間をかけて峠道の整備を行っていたそうだ。

 

米をはじめとした物資の運搬によって信州側と武州側の交流が行われると、恋を育む若者もいた。ふたりの縁が結ばれると、花嫁は家族とともに峠道を越えて、もういっぽうの集落へと向かった。ここは花嫁たちが、花嫁道具とともに越えた峠道でもあるのだ。

 

一里観音を越えて、まもなくすると林道を見る。ここから杉林のなかに続く登山道を下れば栃本に到着する。小さな集落には、秩父往還の往来を監視するための関所跡があり、ここで峠越えの旅は終わる。秩父駅へと向かうバスを待ちながら、十文字小屋で過ごした昨夜を思いだす。次は、シャクナゲが満開となる5月中旬頃に再訪しよう。もちろん、雨の日がいい。そのときは旨い日本酒を土産にしようではないか。

 

文◎村石太郎 Text by Taro Muraishi

撮影◎松本茜 Photographs by Akane Matsumoto

取材日/2022年9月7日〜8日

 

(次回告知)

次回、第十七話となる「The Classic Route Hiking」は9月13日(水)更新予定です。東京都五日市市に住む吉沢代次郎さんが、若かりし頃に遊んだ里山を歩きます。奥多摩周辺の山々を知り尽くした御年90歳の代次郎さんの昔話とともに、当時の人々の山の生活を紹介します。

 

地図作成中

 

(アクセス方法ほか)

ACCESS & OUT/登山口とした毛木平の駐車場までの最寄り駅は、JR 小海線の信濃川上駅となる。駅前にあるバス停から村営バスが川上村の梓山まで運行されているが、登山口までは徒歩で1時間半ほどとなる。そのため、信濃川上駅からタクシーを利用が便利である。下山口とした栃本関所跡からは、大滝温泉遊湯館を経由して、三峰口まで市営バスが運行している。

 

「The Classic Route Hiking」では、独自に各ルートの難易度を表示しています。もっとも難易度が高い★★★ルート(3星)は、所要時間が8時間以上のロングルートとなります。もっとも難易度が低いのは★☆☆ルート(1星)となり、所要時間は3〜4時間、より高低差が少なめの行程です。