五日市の青年が遊んだ戸倉三山

五日市の青年が遊んだ戸倉三山

第十七話

五日市の青年が遊んだ戸倉三山

所要時間:約8時間30分

主要山域:臼杵山、市道山、刈寄山(東京都)

難易度:★★★

本連載では、山間の集落をつなぐために使われていた生活の道を“クラシックルート”と呼び、古くも、新しい歩き旅を提案する。第十七話では、東京都あきる野市内に住む吉沢代次郎さんが、1940〜50年代の戦後復興期に自宅近くの裏山で遊んだ思い出をもとに奥多摩にある戸倉三山を辿る。薪集め、魚とりはもちろん、自作のスキーを持って檜原村まで出かけて山の斜面を滑り降りたり、凍った秋川でスケートをして過ごした昭和の時代の若者の暮らしに思いを巡らしたい。

JR五日市線の終着駅、武蔵五日市駅から路線バスに乗って7〜8分。僕たちは、「西戸倉」という停留所で下車すると、登山口のある明神神社へと向かって住宅街のなかを歩いていた。

 

戸倉に住み、90歳を越えるという吉沢代次郎さんは、自身が10代のころに遊んだ裏山の思い出を、活き活きと話してくれた。

 

「山仕事がない日とか、仕事の合間にね。山のなかをブラブラと歩いていっていたんですよ。ほかにやることがなかったからさ。暇だったんだよね。昔は仕事がなかったから、そんなことばっかりやってたんだよ。その日が過ぎればいいんだから。あとは、戦争ごっこをしたり、帰りに薪を拾って帰ってくればさ。目的なんてないんだ」

 

代次郎さんの昔話は、いまから70〜80年前に自宅の裏山で過ごした日々。終戦後間もない、昭和20年から30年頃にかけての思い出である。

 

***2***

 

代次郎さんの話を横で聞いていた娘の、ひろ子さんも微笑みながら話に加わる。彼女がもっとも印象に残っているのは、「瀬音の橋」の名称で有名な石舟橋の下を流れる秋川でスケートして遊んだことだという。

 

「私がはじめてスケートをしたのはあそこだもん。冬になると、石舟橋の下のところがすごく凍っててね。天然の川で、あとは小和田橋のところにもスケート場があったのよ。夏はね、アルマイトでできた、お弁当箱ってあったでしょ。あれを持って、よく木イチゴを摘みにいったわね。城山のところ。そういう遊びしかなかったのよね」

 

いっぽうの代次郎さんは、急に思い出したような表情になって「浅間尾根でスキーをしたね」と手を打った。浅間尾根とは、臼杵山から見て谷を挟んだすぐ向かい側、隣町の檜原村にある尾根道であり、その南面にあたる松生山あたりでスキーをしていたのだというから驚きだ。

 

「たいした大きさじゃないけど、千間台スキー場(浅間尾根スキー場)っていうのもあったんだよ。浅間領の時坂峠のあたりでね、南面を滑ったの。スキーっていったって、自分で木を削って作った短いのだけどな。あそこはよく日が当たるから、春になるとワラビもよく採れたの。蕗の薹とかも、よく採りにいってたよね」

 

***3***

 

明神神社から歩き始めて約30分。城山の山頂は、武蔵五日市方面の町並みを一望することができる絶景地であった。ここには、かつて戸倉城と呼ばれた山城があった。

 

城山から、さらに1時間ほど進むと荷田子峠へと到着する。ここから北斜面側へと下っていくと、代次郎さんが子供の頃に住んでいた荷田子の集落である。

 

「昔は荷田子に住んでいたから、荷田子の集落から尾根に登って、グミ尾根を歩いて臼杵山まで行ってたの。裏山は人がたくさん山に入っていたから、そこまで行かないと燃やすための薪があまりなかったんですよ。ノコギリを持っていってね。その刃を木の幹に入れて、数週間か放っておくの。少しすると枯れてくるから、薪を背負って家に帰ってきたんですよ。昔は、ほとんどが薪での生活だもんね。お風呂にしても、お勝手にしても、みんな薪だから。買えば高いからね。みんな山で拾ってきてたんだよ。そういう生活をしていたのよ」

 

右手には雑木林、左手には杉林が広がる尾根道を歩いていると、「ドスン、ドスン」と地響きがするような音が山中に届いた。何だろうと思っていたら、次第にけたたましいチェーンソーの機械音が聞こえてきた。杉の木を伐採していたのだ。

 

***4***

 

甲高いチェーンソーの音が鳴り止むと、またすぐに「ドスン、ドスン」と杉の木が地面に叩きつけられて、バウンドする音が聞こえてくる。ようやく職人の姿が見えるところになって、その様子を眺めた。手ぎわよく根元に切れ込みを入れて、驚くほどの早さで次々と杉の大木を倒していく。

 

そんな光景を眺めながら、僕は、代次郎さんが戦後間もない頃に植林事業に関わっていたことを思い出していた。

 

代次郎さんは、「昔は年寄りがうるさかったから、鞭を持って尻をひっぱたかれて、『早くあげろ!』なんて言われながら土を背負っていったんだ」といって大笑いをすると、当時の苦労話を聞かせてくれた。臼杵山や市道山、刈寄山あたりの山には植林のために必要な土が少なかったため、山麓の畑からとった土を自転車やオートバイに乗せて運び、途中から山の斜面を担ぎ上げたのだという。そうしてようやく、周辺の畑で備えた苗木を植えることができた。耕作機械もなく、すべて手作業で行わなくてはならなかった。

 

***5***

 

市道山を越えてまもなくすると分岐点となる。左手に進めば、戸倉三山のひとつに数えられる狩寄山へと向かう峰見通り。そのまま真っ直ぐ分岐点を南下していくと、吊り尾根となって陣馬山へ向かう。

 

僕たちは左手の登山道へと進んで峰見通りを伝い、徐々に標高を落としていった。入山峠で林道に出ると、仕事を終えた様子の林業関係者たちが伐採機器を軽トラックの荷台に持ち上げている。僕たちは、作業をしている林道を横ぎって、林道を越えて刈寄山へと向かう登山道を進んだ。

 

代次郎さんも、このあたりで炭焼きをしていた。曾祖父の時代から3世代にわたって、父親の代まで炭焼きを盛んにしていたという。

 

「焼いた、焼いた。刈寄山でね。檜原村のほうにも使っていたところが一カ所あった。昔は、山の奥に行かなくっちゃ材料がなくてね、みんな木をかっぱらっていたんだからね(笑) 金を出して買ったわけじゃないんだからさ。このへんの山の木は、みんな薪だったり、炭として使ったんだ」

 

***6***

 

刈寄山の山麓を流れる刈寄川では、魚捕りをしたのも良い思い出である。川遊びが大好きだった代次郎さん。当時を振り返り、「遊びっていったら魚とりだったな」と言って満面の笑みとなる。

 

「オレなんかは“ギバチ”って呼んでたんだけど、ナマズみたいなのがいてね。焼いて食うと、旨かったんだよ。それを目当てに刈寄山のほうまで行ってたね。13〜14歳かな。年上の子たちと一緒に行ってな。そこのバス通りの向こうには星竹橋ってのがあるけど、あそこはウナギが捕れたんだ。一回なんかさぁ、あげてびっくりでよ。でかくて、どうやって家に持って帰るかなってなってよ。材木を拾ってきてさ、引っ張り出してきたときは恐ろしかったなぁ」

 

ひろ子さんも、「星竹橋には河童が出るって、もっぱらの噂だったわ」と笑うと、「私たちが川遊びをしているでしょう。それで早くに帰ってこないと、いつも河童が出るぞって」と子供の頃に怖かった記憶を思い起こした。

 

山芋を掘ったり、栗を拾ったり、キノコも、ぜんぶ山で採ってきていたという代次郎さん。あるときなどは、大人ひとりでは背負いきれないほど大きなキノコを採りにいったこともある。

 

***7***

 

臼杵山、市道山と巡った戸倉三山の3山目、標高687mの刈寄山の山頂を踏むと、僕たちは盆堀川が深く刻む渓谷を眺めた。代次郎さんにとってここは、かつて魚捕りをしたり、休日になるたびに歩いた裏山である。渓流沿いの山肌は杉林に覆われ、山道も林道になってしまったけれど、70~80年前の奥多摩の情景を頭のなかで思い描く。

 

日が傾きはじめ、周辺の山並みは少しずつ影を落としていった。刈寄山から下山場所とした今熊神社までは、約1時間の道のりである。周囲の景色は、ふたたび雑木林となり、その林床は黄色く色づいた灌木で覆われていた。

 

「孫がね、6年生のときだよな。八王子の自宅から、陣馬山を越えてうちに遊びに来たことがあるんだ。友だちと5〜6人で歩いてきたの。遊びがてら、『じいちゃんのところにいってみよう』って言って出てきたらしいの。入山峠を越えて盆堀川に降りてから、いまの盆堀林道をずっときたの」

 

代次郎さんの遺伝子は、どうやら孫の代へと受け継がれているようだ。柔らかな語り口で、ときおり笑い話を織り交ぜながら続いた昔話と同様に、戸倉の里山は、昭和から平成へ、そして令和の時代になっても僕たちを大いに楽しませてくれる。うす暗くなりはじめた山並みを眺めながら、僕たちは今熊神社からバス停までの道を歩くのであった。

 

文◎村石太郎 Text by Taro Muraishi

撮影◎矢島慎一 Photographs by Shin-Ichi yajima

取材日/2022年11月24日

 

(次回告知)

次回、第十八話となる「The Classic Route Hiking」は10月25日(水)更新予定です。三重県と滋賀県の県境となる八風街道を辿って、近江商人たちが交易のために歩いた峠道を越えていきます。

 

地図作成中

 

(アクセス方法ほか)

ACCESS & OUT/登山口とした明神神社までの最寄り駅は、JR 五日市線の武蔵五日市駅から、路線バスで向かった。下山口の今熊神社から今熊登山口のバス停までは、約30分の車道歩きとなる。今熊登山口からは、JR中央線の八王子駅のほか、武蔵五日市駅などに向かう。

 

「The Classic Route Hiking」では、独自に各ルートの難易度を表示しています。もっとも難易度が高い★★★ルート(3星)は、所要時間が8時間以上のロングルートとなります。もっとも難易度が低いのは★☆☆ルート(1星)となり、所要時間は3〜4時間、より高低差が少なめの行程です。