近江商人たちが走った八風峠

近江商人たちが走った八風峠

第十八話

近江商人たちが走った八風峠

所要時間:約4時間

主要山域:三池山(三重県。滋賀県)

難易度:★☆☆

山間の集落をつなぐために使われていた生活の道を“クラシックルート”と呼び、古くも、新しい歩き旅を提案する。第十八話では、これまで関東地方を中心にクラシックルート旅を続けてきたが、はじめてとなる東海地方へと足を伸ばすこととなった。

 

琵琶湖のほとり、周囲を山で囲まれた近江国に発祥する商人たちが行商へと伊勢へと向かうときに越えた八風峠は、伊勢と近江とを結ぶ交易路として鎌倉時代から利用された峠道である。江戸時代になると食料や衣類を山村に運ぶ背負人夫たちが行き交い、八風街道と呼ばれるようになり親しまれた。

 

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八風峠は、三重県と滋賀県の県境となる鈴鹿山脈に位置しており、交易の要所として多くの人々に使われていた峠道である。

 

いっぽう、鈴鹿山脈を越えるための峠道として、もっとも有名なのは鈴鹿峠であろう。ほかの峠が700〜800m前後の標高であるのに対して、鈴鹿峠は378mと半分ほどの標高であるから、苦労が少ないということで人々の往来が増していったのである。

 

しかしながら、室町時代になると行商人たちが運ぶ物資を狙って山賊が出現するようになったり、関所が設置されて通行税が徴収されるようになる。合戦に伴い街道の荒廃も進んだ。そのため、道は険しくとも、ほかの峠道を利用するものが増えていった。そうした背景があり、八風峠は根ノ平峠と並んで鈴鹿山脈を越えるための道として、よく利用される道になっていったのである。

 

***2***

 

四日市市の中心部から車を走らせること約40分。八風キャンプ場と表示された看板を通り過ぎてから少し進んでいくと、車を5〜6台ほど駐車することができる登山口へと到着する。

 

駐車場の脇には大きな石が4つ、5つ置かれており、ここから先の林道への車の乗り入れを防いでいる。その大石のひとつには、赤ペンキで“八風峠”と記されていた。

 

天候は、あいにくの雨模様である。バックパックに入れた荷物が濡れてしまわないように、しっかりと雨対策を行い、雨具のポンチョを羽織うことにした。足元も、しっかりと整えて泥汚れや害虫が入り込むのを防いだ。

 

さらに、そのうえから防虫スプレーを入念に拭きかける。鈴鹿山脈は、ヒル被害で悪名高い。今日のような雨が降っている日には、とくに用心が必要だと、地元の登山者たちは声を揃える。僕たちが持ってきた防虫スプレーも、四日市にある企業がヒル専用に作ったものなのだ。

 

***3***

 

大きな石が並べられた登山口から歩きはじめると、シトシトと雨は降り続き、林道脇に植えられた杉の木の葉からは雨粒がしたたり落ちていく。道幅は広く、ここを大八車が通っていた昔の景色を想像するのであった。

 

「八風峠は江戸時代までは、人力で荷物を運んでいたんです。荷車でね。大八車が通れるくらいだったそうですよ。海産物とか塩。冷凍の技術もないから塩漬けの魚とかね。あとは農産物かな。いろんな荷物を運んでいたって聞きました。名前の由来ですか? それは風がいっぱい吹くからかなぁ。伊吹の風とか、御在所の風とかいわれてね。とにかく、あちこちから風が吹いてくるんですよ」

 

登山口で出発準備をしていた女性に話しかけると、時代劇が大好きだという彼女は、八風峠の名前の由来について考察を含めて教えてくれるのであった。

 

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『八風越とて伊勢の国へのぬけ道なり。 高山の嶽にて東西南北坤乾艮巽は此の八つの風の吹きあてる所にや八風峠とはいふ。惣じて風の出るは八方といえども風の名はいろいろ多し。 ひつじさる(坤)はひかた(南西の風)、いぬい (乾)はしなど(北西の風)、うしとら(艮)はやまじ(北東の風)、たつみ(巽)はをしやな(南東の風)……』

 

八風峠の名称の由来について、『愛智太山草』にて残されている一文である。八風峠を越えた近江商人たちは、伊勢の国へとやってくると、おもに紙や木綿、伊勢布、魚や海藻類、塩、油草などを仕入れて、近江や京都へと持ち帰っていった。そのうち鈴鹿峠に続いて、八風峠にも山賊が出没するようになると、対策として隊列を組んで運搬や警護のために団体行動をとった。その当時の名残として、八風峠へといたる道中には石畳の痕跡を見ることもできる。

 

しばらくすると、登山道の右手に「伊左衛門の碑」と案内板のある石仏が見えてきた。さらに少し進んだところには「嘉助の碑」がある。

 

江戸時代、近江国にある商家の奉公人であった伊左衛門と嘉助というふたりの若者の碑である。生家のあった伊勢田光村(源・三重県三重郡菰野町田光)へと戻る際に大雪に見舞われて、故郷から、わずか一里のところまで辿り着いたものの命を落としてしまう。伊左衛門と嘉助の碑が立てられているのは、それぞれが倒れていた場所であるという。

 

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伊左衛門と嘉助の石碑のあいだには、「八風神社中の鳥居」と示された、立派な鳥居を見ることができる。いまの登山道の向きとはまったく異なる方法を向いているが、おそらく以前の八風街道は、この鳥居の方角に作られていたのであろう。

 

登山道から標高を落としたところを流れていた渓流の音が近づいてきて、視界が開けてきた。木の枝につけられたピンク色のリボンを辿って草木のあいだを抜けて、渓流の水が勢いよく流れる砂防ダムを右手に見ながら河原の小石のうえに足跡を残していく。

 

そこからは、右岸から左岸へ、左岸から右岸へと幾度となく川を渡る。白く美しい花崗岩の小石が敷き詰められた河原にて、3〜4個の石ころを積み重ねた小さなケルンがところどころに置かれており、上流へ、上流へと歩を進めていくのである。

 

***6***

 

さらに少し歩いていくと、右の方角に「八風峠」、左の方角には「中峠」と表示された道標がある。中峠とは、八風峠から500mほど南下した尾根上にある峠のことである。八風峠と同様に、三重県側の畑切集落から、岐阜県側の杠葉尾集落までをつないでおり、いずれも尾根から岐阜県側へと続く道は歩く人が少なくなってしまい、いまは不明瞭なところがあったり、荒廃が進んでいるという。

 

河原歩きから、ふたたび登山道が森のなかへと続くと、斜度が増してくる。雑木林のなかの、つづら折りの道となり、まもなくすると見通しのいい尾根となった。斜面を登りきった向こう側には、真っ赤な鳥居が見えてきた。

 

灌木の枝葉は、左右に激しく揺られて、ビュービューと風を切る音が聞こえている。一帯には、背丈よりも少し高いくらいの樹木が育つぐらいで、その幹も斜めに伸びている。

 

鈴鹿山脈は標高1,000m前後と、それほど高い山ではない。けれども、冬になると、日本海や琵琶湖を越えて水分をたっぷりと含んだ季節風が吹いてきて、大雪を降らせる。山を越えた風は「鈴鹿おろし」と呼ばれ、冬のあいだ乾燥した風が三重県北部に吹きおろす。木々の幹が傾いているのも、絶えず風が吹いているからであろうし、大雪で倒されてしまった影響であろう。

 

僕たちは鳥居のある広場に腰掛けると、荷物のなかから湯飲みを取り出した。そこへ魔法瓶に入れてきた甘酒を注いだ。ひと口、ふた口と喉に通すと、ほのかな甘さとともに、風で冷やされた体が温まってくるのを感じる。

 

***7***

 

ふたたび雨が降ってきた。雨具を着なおした僕たちは、尾根道を南下して中峠へと向かうことにした。霧に覆われていて展望は望めないけれど、真っ白な花崗岩で覆われた尾根道は、歩いているだけで気分がよいのである。

 

下山後に知ったのだけれど、八風峠では陶器類の持ち込みは御法度である。かならず天候が荒れ、洪水が起きるとの言い伝えがあるというのだ。無論、根拠のない迷信だと信じたいけれど、甘酒のために持ってきた陶器製の湯飲みに怒った八風峠が、この雨を降らせているのかもしれない。

 

中峠に到着すると雨脚が強まってきて、風を遮ることができる森のなかへと逃げるようにして下っていった。尾根道をそのまま進んで釈迦ヶ岳(標高約1091.9m)の山頂を踏んでから、岩ヶ峰尾根を辿っていったり、あるいは先ほど歩いていった三池岳から、そのまま駐車場まで下る道も歩いてみたかった。しかしながら、こんな日は安全策を選ぶのが賢明であろう。

 

かつての近江商人たちと同じように、そのまま岐阜県側へと下っていっていく道も歩いてみたいものである。いずれも4〜5時間程度で歩ける行程である。ただし、1000年を越すともいわれる峠道であるからして、言い伝えを守って湯飲みなどの陶器は持ち込まぬよう注意をしたい。そうしないと僕たちのように四方八方から風に吹かれて、逃げ帰るように下山することになるかもしれないのだから。

 

文◎村石太郎 Text by Taro Muraishi

撮影◎松本茜 Photographs by Akane Matsumoto

取材協力◎モデラート(三重県四日市市)
https://moderateweb.com

取材日/2023年10月4日

 

(次回告知)

次回、第十九話となる「The Classic Route Hiking」は12月13日(水)更新予定です。陣馬山の山頂までへといたる山道のなかで、もっとも古くから歩かれてきたという栃谷尾根を辿ります。冬晴れした穏やかな天気に恵まれて、木の葉が落ちたあとの山歩きを楽しみながら、峠道の起点となる集落へと向かいます。

 

地図作成中

 

(アクセス方法ほか)

ACCESS & OUT/今回は、出発地点と終了地点ともに三重県菰野町にある林道終着点とした。登山口までは、JR関西本線の四日市駅などから徒歩1時間30分ほどの田光などに定期バスも運行されているが、自家用車かタクシーでのアクセスが便利だろう。

 

ALTERNATIVE ROUTE/八風峠から、そのまま岐阜県側へと下って、かつての交易ルートを正確に辿れば、さらに味わい深い山歩きとなるだろう。しかしながら、公共交通機関がないため、自家用車を三重県側と岐阜県側に駐めて置く必要がある。なお、岐阜県側に車を停める場合は、林道の入り口に車止めのゲートがある。ほかの車の通行に支障がなく、安全な場所に駐車したい。今回は、より優しいルートを歩いたが、三池岳の山頂を踏んで時計まわりに駐車場に戻ったり、反時計回りに釈迦ヶ岳を巡って、岩ヶ峰尾根を歩いて駐車場へと戻るルートもとることも可能だ。

 

「The Classic Route Hiking」では、独自に各ルートの難易度を表示しています。もっとも難易度が高い★★★ルート(3星)は、所要時間が8時間以上のロングルートとなります。もっとも難易度が低いのは★☆☆ルート(1星)となり、所要時間は3〜4時間、より高低差が少なめの行程です。