栃谷尾根を伝って陣馬山へ

栃谷尾根を伝って陣馬山へ

第十九話

栃谷尾根を伝って陣馬山へ

所要時間:約3時間30分

主要山域:陣馬山(神奈川県)

難易度:★☆☆

アクシーズクイン・エレメンツでは、山間の集落をつなぐために使われていた生活の道を“クラシックルート”と呼び、古くも、新しい歩き旅を提案する。第十九話となる今回は、甲州街道の裏道として使われた陣馬山越えの山歩きへと出かけることにしよう。

 

陣馬山の山頂へといたる登山道のなかで、栃谷尾根はもっとも古くから歩かれていた道である。山麓の集落で作られた作物や木炭、絹糸などの交易品を馬の背に乗せて運んだ馬方たちが行き交う。そんな情景を想像しながらの山歩きとなる。

 

***1***

 

JR藤野駅前を出発した和田行きの路線バスに揺られて、約5分。東京都と神奈川県の県境に位置する陣馬山への登山口となる「陣馬登山口」へと降り立った。バス停で降りた乗客のほとんどは、もっとも人気がある一ノ尾根へと向かっていた。そうしたほかの登山客たちと別れて、僕たちは栃谷川沿いに作られた舗装路へと進路を進める。

 

舗装路の左手には簡易郵便局があり、そこからさらに奥へと進んでいくと3軒の温泉宿と日帰りの入浴施設がある。そのなかで、1964(昭和39)年から営業を続けている陣谷温泉は、もっとも古くから陣馬山に登る人たちに親しまれてきた。

 

今回とは逆のルート、陣谷温泉をゴールとして、あたたかな檜風呂に浸かって帰路へつく。そんな歩き方も、また魅力的であろう。

 

***2***

 

陣谷温泉の手前には、「栃谷尾根・陣馬山3.6km」という道標がある。僕たちは、この表示に従って、左手に切り返していく道を進んだ。小さな道標なので見逃してしまいそうだが、すぐ横には「陣馬の湯、陣谷温泉」と掲げられた大きな看板があるので、これを目印としたい。

 

1月とはいえとてもあたたかく、晴天の陽光を浴びながらの山登りでは汗をかいてしまいそうだ。途中に公衆トイレがあり、そこで僕たちは履いていたウールタイツを脱ぐことにした。

 

そこからは民家の軒先を抜けてゆき、細い路地を登っていく。小さな祠に守られた地蔵が出迎えてくれ、道は山間に広がる集落のなかへと続いていた。

 

ここが栃谷集落である。周囲には茶畑が広がり、いま来た道を振り返る。近隣の山々の向こうでは、真っ白に雪化粧を施した富士山が顔を出していた。沿道に植えられた柚の木には、いまにも落ちてしまいそうなくらい大きな実がなっている。

 

***3***

 

そこからは舗装路が登山道となり、広く快適な尾根歩きとなる。バス停を降りてすぐのところの高台に神社が祀られていたけれど、おそらく以前はずっと尾根道を伝って集落まで道が続いていたのであろう。

 

枯れ葉で覆われた道を、サクッ、サクッ、サクッと落ち葉を踏む音を立てながら一歩、また一歩と踏み出していく。江戸時代、この道は江戸と甲州を結ぶ甲州街道にある関所を避けて、交易へ向かう人たちが利用する裏街道であった。

 

当初は、山麓の集落で採れた作物や茶葉、木炭などをおもな交易品としていたが、横浜港が開港すると欧米諸国へと輸出するための絹糸の生産が盛んとなり、この道を抜けて八王子へと運ばれた。

 

栃谷尾根をはじめ、となりの一ノ尾根でも、かつては馬に荷物を背負わせた馬方たちが行き交っていた。しかしながら、高度成長期へと突入した昭和30年代になると、交通の発達とともに馬方たちは姿を消してしまった。

 

***4***

 

栃谷集落から1時間ほど歩くと、陣馬山の山頂である。ここは、茅葺き屋根の素材となる、茅を作っていた茅場であった。そのため、山頂付近には高い木々が育たず、晴れた日には遠くの山々まで見渡せるとあって、大正時代から多くの登山者がやってくる人気の山となった。

 

山頂にある3軒の茶屋のうち、清水茶屋は平日も営業を続ける茶屋である。甘酒をふたつ注文すると、展望のよい位置に備えつけられたベンチに腰掛けた。冷たい風が吹いてきて、ジャケットを一枚羽織ることにした。ここからも富士山が、ひょっこりと山の向こうから真っ白な山頂を覗かせている。

 

茶屋の店主がやってきて、お盆にのせた甘酒を差し出してくれた。紙コップに入った甘酒を受け取ると、風に吹かれて冷たくなった手先で覆って両手を温めるのであった。

 

***5***

 

陣馬山での休憩を終えると、尾根伝いに奈良子峠、明王峠、底沢峠と辿っていく。いくつもの峠があるということは、人々が山を越えて八王子方面と上野原方面を行き交っていたということである。

 

明王峠にも茶屋があり、手打ちうどんや山菜天ぷらなどが名物となっている。その茶屋の前にはベンチが並んでいて、僕たちはそこに腰掛けた。栃谷集落の無人売店で手に入れた梅干しの袋を取り出すと、口のなかに一粒を放り込んだ。

 

底沢峠からは、陣馬高原下へと向かう下山道を辿ることになる。この峠には石柱でできた道標があり、大正11年に立てられたという刻印がある。一方には「南 底沢・千木良」と甲州街道沿いの集落の名前がある。ほかにも「向左 八王子市方面」、「西 与瀬・吉野・上野原」と刻まれている。

 

***6***

 

僕たちは道標で“八王子市方面”と指示された左手へと伸びる道を下っていった。そこから陣馬高原下までは1時間ほど。小さな集落は、僕たちが歩いてきた底沢峠へと向かう道、裏街道としてもっとも歩かれた和田峠へと向かう分岐点となっている。

 

ここは戦国時代まで案下(あんげ)村と呼ばれており、地名の由来は諸説あり、片側が急斜面となったところという意味からだとか、アイヌ語に由来するといった説があるそうだ。

 

いまは陣馬山を訪れる登山者で賑わう週末を除いては、ひっそりとした静かな集落である。しかしながら戦国時代には案下城が築城されており、板塀の続く集落から想像するに、裏街道として多くの人が行き交ったのであろう。

 

***7***

 

陣馬高原下のバス停前には、黄色い看板に化粧品、日用品、果物、菓子と記された商店があるけれど、その壁はベニヤ板で覆いがされていた。その軒先には登山者のための休憩スペースが設けられていている。

 

僕たちは、そこに腰掛けて自動販売機で缶ビールを買ってバスを待つことも考えた。けれども、あまりに魅力的な「十割そば その場打ち」と掲げられた蕎麦店に誘われて、暖簾をくぐることにした。

 

ここの名物は、国産の蕎麦粉を使った10割そばである。もともとは金物店を営んでおり、初代店主が地元で採れた、よもぎ、いかり草を使って作ったものを「陣馬そば」と呼んだという。

 

八王子の地酒とともに、茗荷の和え物、山菜などの天ぷらの香りを噛みしめる。店主が情熱を注ぐ手打ちそばを、すだち塩、クルミ汁、そば汁と、みつとおりの味わいで楽しむ。帰りのバスの出発まで、そんな贅沢な時間を過ごしながら今日一日の出来事を振り返るのである。

 

文◎村石太郎 Text by Taro Muraishi

撮影◎松本茜 Photographs by Akane Matsumoto

取材日/2023年1月31日

 

(次回告知)

次回、第二十話となる「The Classic Route Hiking」は2024年1月24日(水)更新予定です。房総半島へと向かい、山間の集落から漁師街へと嫁入り道具とともに花嫁たちが歩いた道「花嫁街道」を訪れます。

 

地図

 

(アクセス方法ほか)

ACCESS & OUT/出発地点とした陣馬山口へはJR藤野駅から和田峠行きの路線バスで向かった。帰路は、陣馬高原下にあるバス停から、JR高尾駅北口行きに乗った。いずれも運行本数に限りがあるため、事前に時刻表などを確認してスケジュールを立てることをおすすめしたい。

 

「The Classic Route Hiking」では、独自に各ルートの難易度を表示しています。もっとも難易度が高い★★★ルート(3星)は、所要時間が8時間以上のロングルートとなります。もっとも難易度が低いのは★☆☆ルート(1星)となり、所要時間は3〜4時間、より高低差が少なめの行程です。