The Classic Route Hiking

花嫁たちが越えた丹沢の峠道

花嫁たちが越えた丹沢の峠道

第二話

花嫁たちが越えた丹沢の峠道

 

 

所要時間:約7時間

主要山域:丹沢(山梨県、神奈川県)

難易度:★★☆

 

今秋から展開がはじまったAXESQUIN ELEMENTSは、身近な山を楽しむためのアウトドアウェアとアクセサリーを提案する新ブランドである。アウトドアで発揮する確かな機能性を求めるとともに、これまでにないスタイルを発信しながら、かつて山間の集落をつなぐために使われていた生活の道を“クラシックルート”と命名して、古くも、新しい歩き旅を提案する。

 

第二回目となる今回は、山間の集落として人々の営みが続いた山梨県の道志村から、神奈川県の丹沢山中にある箒沢集落へといたる山道を歩く。このクラッシックルートは、それぞれの集落に住む男女が恋に落ちた相手にあいに歩いた山道であり、花嫁となる女性たちが嫁入り道具とともに越えた峠道であった。

 

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今回の旅の出発点とした道志村は、山梨県南東部に位置する深い谷間にある山村である。この村にきた理由は、かつて若者たちが恋する女性にあいたい一心で歩いた峠道があると聞いたことがきっかけだ。彼らは、灯籠の明かりを頼りに、峠を隔てた丹沢の箒沢集落へと暗い夜道をひたすら歩いた。現在80歳前後の村人のなかには、そうした経験を持つ人も少なくないという。

 

箒沢もまた、標高1,000〜1,500mほどの山々に囲まれた集落であり、山や谷によってほかの集落と隔てられた山村であった。箒沢へと向かう県道76号線は、いまでは立派な舗装道路になっているけれど、北上していくと道幅が徐々に狭くなり次第に対向車とすれ違うことも苦労するようになる。舗装道路が開通するまでは馬や牛がようやく通れるだけの道であった。隣の村までは、集落のほとりを流れる河内川沿いの危険な道を歩かなければならず、川沿いの岩壁を迂回する必要もあっただろう。

 

そのような山の道を歩いた人々のことを思いながら、僕たちは道志村にある温泉施設「道志の湯」のバス停に降り立った。舗装路から登山口へと歩を進めると、杉林を抜けて急斜面の登山道を登った。周囲には、赤や黄色に色づいた葉っぱをつけた雑木林が広がり、木々の隙間から心地よい微風が吹いていた。

 

歩き始めてから40分ほど経ったところにある東屋で休憩していると、すぐ脇に渓流を見つけてそこまで下っていった。さらさらと静かに流れる水の音を聞いているだけで心地よく、ひとすくい両手にためて喉をうるおした。かつて峠道を歩いた人たちも、こうして飲料水を得たのであろう。

 

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休憩を終えて、息を切らせながら一歩、また一歩と歩みを進め、当時の若者たちが恋い焦がれたように、これから僕が箒沢で出会うであろう麗らかな女性のことを想像する。

 

「女子衆、まっておれー。いまから、あいにいくぞぉ」

 

道志と箒沢には、佐藤姓が多いのだと聞いた。道志の人たちが炭焼きや神社仏閣などに使う材木を育てるために山通いをするうちに、箒沢の人たちとの交流がはじまる。そうしたなかに互いに恋心を抱く男女がおり、めでたく縁が結ばれると、いっぽうの集落へと嫁入りをしたというわけだ。

 

小さな集落のなかで婚姻するのでなく、相互に交流していくなかで健康的な子どもを授かるという目的があったのだろう。こうした習慣は道志や箒沢だけでなく、日本全国の山村で行われてきた子孫繁栄のための知恵であった。

 

箒沢で生まれ育ったという細川弥生さんは、彼女の両親が20年前ほどに開業した「箒杉茶屋」を切り盛りしていた。名物の手打ちそばを注文しながら、かつての箒沢について訪ねると、「神奈川方面に行くよりも、道志のほうが近いという感覚があった」と自身の幼少時代に聞いた昔話を思い起こした。

 

「山梨と、行ったり来たりしている人は多かったみたいですね。昔、交通網が発達していないときは山をひとつ越えれば道志でしたから。いま80歳前後の人たちは、道志から嫁に来たという方も多いんですよ。私の主人の母も道志から来ましたし、私の母は道志ではありませんが、もともとは山梨の人間です」

 

夜道を歩き、恋人たちのもとへ通い続けた若者たちは、はじめは女性の父親に追い返されてしまうが、次第に恋人として認められるようになる。道志村で出会った御老人は、「彼女の布団に潜り込んだと思ったら、母親の布団だったなんてこともあったそうですね」といって大笑いすると、伝え聞いた昔話をしてくれた。

 

「花嫁は、嫁入り道具を馬に背負わせて白石峠を越えたんです。花嫁姿では山道を歩けないから、もんぺ姿とかで山を越えてきてね。それで道志に移り住んできた親戚の家に寄って、そこで花嫁衣装に着替えたそうですよ」

 

汗を拭いながら急斜面を登り詰めた僕たちは、白石峠を越えると水晶沢ノ頭、シャガクチ丸、バン木ノ頭、モロクボ沢ノ頭と続く、なだらかな稜線歩きを楽しんだ。落ち葉を踏みしめながら2時間ほど歩くと、まもなく畦ヶ丸(標高約1,292m)の頂上である。

 

山頂には避難小屋があり、ここでひと息入れようと扉を開けた。丹沢山中には、こうした避難小屋が要所に建てられており、悪天候に見舞われた登山者を守ってくれている。なかでも畦ヶ丸の避難小屋は新しく、昨年新築されたばかり。小屋のなかは、まだ新しい木材の香りが充満していた。

 

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避難小屋を後にすると、僕たちは大滝沢に向かって徐々に標高を落としていった。大滝峠上の分岐を経て、一軒屋避難小屋を越えていくと渓流のなかに天然のプールがいくつも見つけることができる。かつての若者たちも箒沢からの帰路、こうした場所で水浴びをして道志へと向かっただろう。ほてった体を冷やしながら、恋人と過ごした夢のような時間の余韻に浸ったに違いない。

 

大滝沢沿いの登山道は林道となって県道76号線に合流すると、まもなく箒沢である。その林道は箒沢の方角へと通じているため、以前はおそらく箒沢へ直接続いていた道があったかもしれない。

 

村のシンボルともいえる大樹、箒杉を見上げながら箒沢に入っていくと、普段は観光客で賑わう通りはコロナ禍でひっそりとしていた。集落は静まりかえっていて、箒杉茶屋を始め、民宿の箒沢荘や併設された喫茶室、近年営業を始めた革製品の店やグランピング施設などすべての店が営業を自粛していた。以前訪れたときの活気はなく、ひっそりとした大昔の山村に戻ってしまったようである。

 

「女子衆は、どこじゃー」

 

集落の入り口に鎮座する樹齢2000年ともいわれる箒杉を見上げながら、僕は心のなかでそう叫んだ。女子衆どころか、おばあちゃんも、おじいちゃんも、子供たちの姿もなく、まったく人影を見ることがなかった。

 

細川弥生さんのいる箒杉茶屋の店先には「休業中」の看板が掲げられており、民宿の扉を開けて呼びかけても誰の応答もなかった。僕の嫁探しの旅は、あっけなく崩れ去った。箒杉観光をして、失意のどん底のまま新松田駅へと向かうバスを待つしかないのだろうか……。せめて、手打ちそばを食べて帰りたかったのだけれども仕方がない。

なお、今秋にふたたび訪れたときには活気が戻ってきていたため、ぜひともかつての若者たちと同様の期待を胸に峠道を越えていただきたい。

 

文◎村石太郎 Text by Taro Muraishi

撮影◎松本茜 Photographs by Akane Matsumoto

取材日/2020年11月18日

 

【次回告知】

第三回目の「The Classic Route Hiking」は12月15日(水)更新予定です。小田急線の箱根湯本駅から出発して芦ノ湖の湖畔に復元された関所跡へと向かう、鎌倉古道と箱根旧街道への“はしご旅”へと出かけます。

 

ACCESS & OUT/出発点とした道志の湯バス停までは、富士急行線の都留市駅から路線バス(富士急バス)が運行しているものの到着は平日で14時40分頃になってしまう。そのため、都留市駅からタクシーで道志の湯まで向かうか、近隣のキャンプ場などで前泊をして出発することになる。かつての若者のように、ヘッドランプの明かりを頼りに夜道を歩こうという強者も応援したい。帰路は、県道76号線にある箒沢バス停から、路線バスで小田急線の新松田駅へと向かうといいだろう。

 

ALTERNATIVE ROUTE/白石峠を越えたのち、そのまま白石沢沿いを降って西丹沢自然教室を通過して箒沢へと向かうルートもある。近代になって沢沿いの道が整備されるようになると、白石沢沿いのルートを使った人たちも多い。また、畦ヶ丸から西丹沢自然教室へと下山してもいいだろう。

 

「The Classic Route Hiking」では、独自に各ルートの難易度を表示しています。もっとも難易度が高い★★★ルート(3星)は、所要時間が8時間以上のロングルートとなります。もっとも難易度が低いのは★☆☆ルート(1星)となり、所要時間は3〜4時間、より高低差が少なめの行程です。