踊り子の面影を追って下田街道へ

踊り子の面影を追って下田街道へ

第二十二話

踊り子の面影を追って下田街道へ

 

所要時間:約7時間00分

主要山域:天城峠(静岡県)

難易度:★★☆

 

アクシーズクイン・エレメンツでは、山間の集落をつなぐために使われていた生活の道を“クラシックルート”と呼び、古くも、新しい歩き旅を提案する。今回は、静岡県の伊豆半島を南北に、三島市と下田市間を結ぶ主要路であり、最大の難関であった二本杉峠を越えていく下田街道を歩く。

 

1904(明治37)年、下田街道に「天城山隧道(旧天城トンネル)」が開通すると、さらに多くの旅人たちが行き交うようになった。この峠道を舞台としながら、自らの実体験をもとにした川端康成氏による『伊豆の踊子』によって有名になった天城峠を目指すこととしよう。

 

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伊豆箱根鉄道の最終駅、修善寺駅から路線バスに揺られて約25分。僕たちは、温泉宿が連なる湯ヶ島温泉口のバス停へ降り立った。三島と下田をつなぐ国道414号線は下田街道と呼ばれ、1819(文政2)年に伊豆国梨本村の名主であった板垣仙蔵が私財を投じて開通させた街道がもととなっている。

 

バス停から車道を渡ると、「湯道」と刻まれた道標に誘われて、小道を7〜8分ほど歩いていく。すると木立の向こうに、作家の川端康成氏が定宿としていた「湯本館」の屋根瓦と真っ白な外壁が見えてきた。

 

1918(大正7)年、旧制一高に通う学生であった川端は、ひとり旅で湯ヶ島温泉を訪れている。これをきかっけに、数十年にわたって湯本館を定宿としたのだけれど、今回僕たちが歩く下田街道を舞台とした『伊豆の踊子』は、そのときに出会った旅芸人の親子と過ごした体験をもとに、湯本館の一室で書き上げられたものであるという。川端が綴った物語のように、大正時代にはモチーフとなった旅芸人たちが温泉場を流しで歩いていたという。

 

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湯本館からは、「女橋」、「男橋」と名づけられた橋を渡ってバス停方面へとふたたび戻って、民家が立ち並ぶ舗装路を進み、「瑞祥橋」という本谷川に掛かる橋を渡った。

 

そこから、本谷川の右岸に伸びる遊歩道を歩いていくと、道の向こう側に立派な吊り橋が見えてきた。この吊り橋に誘い込まれるようにして川をわたり、開花したばかりの桜の花に見とれながら民家の軒先を進む。小道の脇には用水路が流れており、軽やかで心地よい水の音が聞こえてくる。

 

しかしながら、謝った方向へ進んでしまったようである。民家の先は国道であり、先ほど渡った吊り橋へと引き返す必要があった。僕たちは、気を取り直して本谷川の右岸へ戻り、水恋鳥公園を越えてゆき南下を続けていった。

 

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途中、右へ、左へとつづら折りになった車道のあいだをショートカットするような遊歩道に従って、車道を一度、二度とわたって、車道から杉林のなかへと歩を進めた。

 

湯ヶ島温泉から1時間半ほどすると、「天城越え」という道の駅に到着する。ここまで天城遊歩道と掲げられていた山道は、「踊り子歩道」と名を変える。道中には古い石階段が残されており、江戸時代の人々もここを歩いたのであろう。

 

一帯の杉並木は御礼杉と呼ばれており、天城山を江戸幕府が所有していた時代に伐採を禁じられていた。そのため、現在まで美しい杉並木が残された。また、幕府によって製炭が盛んに行われており、焼いた木炭は下田街道を北上して、旧東海道を通って江戸へと運ばれた。その名残として、途中には玉石造りの炭焼き窯跡を見ることができる。

 

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「私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり、紺飛白の着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけていた。一人伊豆の旅に出てから四日目のことだった。修善寺温泉に一夜泊まり、湯ヶ島温泉に二夜泊まり、そして朴歯の高下駄で天城を登って来たのだった。重なり合った山々や原生林や深い渓谷の秋に見惚れながらも、私は一つの期待に胸をときめかして道を急いでいるのだった。そのうちに大粒の雨が私を打ち始めた。折れ曲がった急な坂道を駆け上った。ようやく峠の北口の茶屋に辿り着いてほっとすると同時に、私はその入り口で立ちすくんでしまった。あまりに期待がみごとに的中したからである。そこで旅芸人の一行が休んでいたのだ。」(川端康成・著「伊豆の踊子」より。岩波書店・刊)

 

踊り子歩道から、赤い鉄橋下につけられたコンクリート製の階段を登り、国道を横切って砂利敷の林道を歩いていく。すると、曲がり道の先に石造りの天城山隧道が見えてきた。二十歳の川端が高下駄を履きながら、旅芸人を追ってやってきた茶屋は、現在では休憩用東や公衆トイレがあるあたりであろう。

 

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1904(明治37)年に開通した天城山隧道は、現存する石像トンネルとしては国内最古であるという。もともとの下田街道は、このトンネルのうえにある峠道が使われており、杉の大木が2本あったことから「二本杉峠」と呼ばれていた。この旧道は北側の三島方面からのみ現在も登山道が残されているけれど、南伊豆へと向かう南側は崩落などによって廃道となっている。

 

「暗いトンネルに入ると、冷たい滴がぽたぽた落ちていた。南伊豆への出口が前方に小さく明るんでいた」(同『伊豆の踊子』より)

 

吉田石という石作りの天城山隧道のなかへと進んでいくと、規則的に吊された裸電球によって石壁が照らされていた。うす暗いトンネルのなかを奥へ、奥へと進んでいくと、二十歳の川端が見たように南伊豆への出口から差し込む光が徐々に大きくなっていった。

 

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天城山隧道を太平洋側へと抜けると、そこからは南伊豆の街へと向かう下り道となる。途中、寒天橋から河原へとおりて、しばしの休憩とした。

 

寒天橋から先は立派な杉並木が続く散策路となり、まもなくして国道の反対車線側へと渡って、河津七滝へと下っていく木橋が続く。激しい水しぶきを上げる落差7mの大滝をはじめとした河津渓谷は、湯ヶ野を訪れる人々によって古くからの景勝地として知られたようだ。川端も旅芸人たちと一緒に、この河津渓谷を歩いている。

 

「湯ヶ野までは河津川の渓谷に沿うて三里あまりの下りだった。峠を越えてからは、山や空の色まで南国らしく感じられた。私と男は絶えず話し続けて、すっかり親しくなった。荻乗や梨本なぞの小さい村里を過ぎて、湯ヶ野の藁屋根が麓に見えるようになった頃、私は下田まで一緒に旅をしたいと思い切って言った。彼は大変喜んだ。」

 

湯ヶ野の河原に掲げられた「伊豆の踊子文学碑」には、伊豆の踊子からの抜粋で上記のように刻まれている。木橋が掛けられた山の斜面には、彼らが歩いたであろう石階段を見つけることができる。

 

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伊豆半島の清麗な沢水を使った山葵田を眺めながら、湯ヶ野へと向かう山道を下ってゆく。僕たちの旅は、川端が踊り子たちと過ごした湯ヶ野で終えることとする。終着点は、手拭いもまとわずに真裸の踊り子が走り出してきた踊り子を見た温泉宿「福田屋」である。旅芸人家族と親交を深めた川端は、ここから一家が住まいを構える伊豆大島への船が出航する下田まで旅を続ける。

 

「仄暗い湯殿の奥から、突然裸の女が走り出して来たかと思うと、脱衣所の突鼻に川岸へ飛び下りそうな格好で立ち、両手を一ぱいに伸ばして何か叫んでる。手拭いもない真裸だ。それが踊り子だった。若桐のように足のよく伸びた白い裸身を眺めて、私は心に清水を感じ、ほうっと深い息を吐いてから、ことこと笑った。子供なんだ。私たちを見つけた喜びで真裸のまま日の光の中に飛び出し、爪先で背一ぱいに伸び上がるほどに子供なんだ。私は朗らかな喜びでことことと笑い続けた。頭が拭われたように澄んで来た。笑顔がいつまでもとまらなかった。」(同『伊豆の踊子』より)

 

天城峠から山をくだり、太平洋が広がる下田の景色を眺めてみたい。そんな願いを抱きつつも、汗を流して帰路へと向かおうではないか。さて、現代の踊り子たちはいずこであろう。川端が歩いた時代に思いを馳せながら、ここまで歩いた疲れを癒やそうと浴場を探すのである。

 

文◎村石太郎 Text by Taro Muraishi
撮影◎松本茜 Photographs by Akane Matsumoto

取材協力◎サンカクスタンド(静岡県伊豆市)
https://sankaku-stand.com
取材日/2023年4月2日

 

(次回告知)
次回、第二十三話となる「The Classic Route Hiking」は2024年6月12日(水)更新予定です。国立公園に指定される尾瀬の原野を切り開き、日本随一の人気を誇るまでに人気となった尾瀬で生活を始めた平野長蔵氏の足跡を追う。

 

 

(アクセス方法ほか)
ACCESS & OUT/出発地点としたのは湯ヶ島にある湯ヶ島温泉口のバス停である。ここまでは、伊豆箱根鉄道の修善寺駅前から東海バスで向かった。帰路は、湯ヶ野温泉から、同じく東海バスで修善寺駅へと戻った。いずれの路線バスも、1時間に一本程度運行されている。行程を短めにしたいときは、道の駅「天城越え」から歩きはじめて、河津七滝までとすれば約5時間ほどの行程となる。

 

「The Classic Route Hiking」では、独自に各ルートの難易度を表示しています。もっとも難易度が高い★★★ルート(3星)は、所要時間が8時間以上のロングルートとなります。もっとも難易度が低いのは★☆☆ルート(1星)となり、所要時間は3〜4時間、より高低差が少なめの行程です。

 

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