毛無山で一攫千金を狙う

毛無山で一攫千金を狙う

第三十話

毛無山で一攫千金を狙う

 

所要時間:約6時間

主要山域:毛無山(山梨県・静岡県)

難易度:★★☆

 

アクシーズクイン・エレメンツでは、山間の集落をつなぐために使われていた生活の道を“クラシックルート”と呼び、古くも、新しい歩き旅を提案する。

 

第三十話となる今回は、山梨県と静岡県の県境に位置する天子山地の最高峰である毛無山(標高約1,964m)へと向かった。その中腹には戦国時代から続けられた金や銀の採掘場跡があり、僕たちは一攫千金を狙って登山口へと意気込んで向かうこととした。

 

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JR身延線の下部温泉駅から徒歩約1時間。石畳が敷かれた細い路地を入っていくと、湯之奥という山間に作られた小さな集落がある。県道415号線から、ようやく自転車2台がすれ違うことができるほどの石畳道が一直線に伸びていて、奥へと進んでいくと真っ赤な鳥居とともに湯の奥山神社が出迎えてくれる。

 

その手前には国が重要文化財に指定する「門西家住宅」がある。ここは江戸時代、毛無山の中腹で金を産出した湯之奥金山のほか、一帯の山林の管理を任されてきた門西家の住宅跡であるという。今日は、この湯之奥の集落から中山金山跡を目指しつつ、山梨と静岡へ相互の交易路として古くから使われてきた地蔵峠から毛無山山頂へと向かう。

 

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湯之奥の集落から、さらに1時間ほど林道を登っていくと、小さな駐車スペースの脇に「山梨の百名山・毛無山(1964m)」とある登山口を見つけることができる。

 

中山金山跡までの道は、ここからが本格的な登山となる。周囲に連なる山々の驚くほどの急峻さに怖じ気づきながら、カラマツ林のあいだに作られた登山道を辿っていく。朝方まで雨が降り続いていたため地面は湿り気を帯びており、森のなかに立ちこめた靄の隙間から朝日が顔を覗かせる。

 

「どうする、今日から億万長者になっちゃうかもよ」

 

金塊を探し当てて一攫千金を狙おう。そんな冗談を飛ばしながら登山道を進んでいく。毛無山の山腹に残された金鉱は、甲斐の武将である武田信玄公が採掘をはじめさせたものである。かつては「湯の奥金山」と呼んでおり、毛無山一帯には中山金山、茅小屋金山、内山金山という3ヶ所の金鉱があった。僕たちが向かっている中山金山は、そのなかでもっとも大がかりに採掘された鉱山跡である。

 

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急峻に見えていたものの、登山道はおもいのほか緩やかに進んでいく。毛無山の山頂へと徐々に標高を上げていくと朝靄が晴れてきて、周囲のカラマツ林は新緑の雑木林へと変わっていった。

 

登山道の脇へと目を向けると、なにやら鉄の塊が放置されている。近づいて見てみると、鉄枠のなかに大きな滑車が取りつけられていて、ハンドルのような機具が伸びている。その脇には、林床に生えた若木や草に絡まるようにして、太いステンレスワイヤーが巻かれて置かれている。

 

これがなにものであるかは想像することしかできないけれど、金山で採掘した鉱物などを山麓の集落まで運搬するための機械なのであろう。中山金山は、戦国時代から江戸初期が最盛期であったと言われているけれど、近代にも鉱脈が発見されている。その頃に、ふたたび精錬所が作られたそうで、きっとこの滑車も、そうした時代に使われたものなのであろう。

 

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徐々に勾配を増していく登山道を辿って、1時間ほどが経過した。そこで見つけたのが「国指定史跡・甲斐金山遺跡・中山金山」と題された案内板である。この案内板が設置されているのは鉱山の入り口付近にあたり、ここから尾根のある地蔵峠あたりまで住居跡のほか精錬を行った作業場跡などが広がっている。

 

集落の中央を流れる金山沢の向こうの尾根には露天掘り跡、坑道跡などがある。想像よりもはるかに大きな中山金山跡に驚きながら、住居跡があるという地区へ脇道を進んでいくと、石仏や住居が建てられていた石積み、石仏などが散在しているのである。

 

ここには大名屋敷のほか鉱夫たちの住まいがあったという。精錬所跡の石積みも残されており、集落のなかを流れる沢沿いには円盤型の挽き石臼が無造作に転がっている。さらに沢の対岸側を眺めると「露天掘り跡・坑道跡」と表記された案内板があり、崩れた崖の隙間の奥に大きな穴が空いていた。一帯には77ヶ所もの採掘跡が発見されており、この坑道は奥行きが45mほどあり、中山金山のなかでもっとも奥深くまで掘られた坑道であるという。

 

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広大な中山金山には、女郎小屋と思われる屋敷跡もあり、最盛期であった江戸時代の賑わいをうかがい知ることができる。ゆっくりと鉱山跡を散策したあとは、登山道に戻って。そこからまもなくすると毛無山の山頂へと向かう尾根道へと到着する。

 

ここは第二地蔵峠と呼ばれている場所である。木立の隙間からは雪化粧を施した富士山が、ドドンと鎮座していた。金鉱で働いた鉱夫たちも、きっとこのあたりまでやってきて富士山を眺める時間を楽しんだのではなかろうか。

 

ここから標高を下げたところには、双体石仏が祀られている第一地蔵峠がある。湯之奥集落方面からの鉱山道は、もともとは谷のなかに作られていたようで、その道が尾根と交差するところが第一地蔵峠なのである。つまりいま僕たちがいる第二地蔵峠は、新しく作られた登山道が交差する場所なのである。

 

なお、第一地蔵峠からは荒廃が進んでしまったものの現在でも登山道が山麓の麓集落まで続いており、沢筋では砂金を求めた金鉱師たちが集ったと聞く。今日登ってきた湯之奥集落からの谷間では、明治時代の後期まで砂金の採集が行われてたという記録も残されているのである。

 

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かいた汗を手拭いで拭きながら地蔵峠からの尾根道を辿っていくと、標高約1,964mの毛無山の山頂に到着する。木立のまばらな山頂広場では、静岡県側から登ってきたと話す3組のパーティが思い思いに富士山を眺めながら日向ぼっこをしている。毛無山の名の由来は諸説あるそうで、樹木が育たない“木無し”からであるとか、まったく反対に木々が豊富に生育したとこから“木成し”と呼ばれたものが変化したなどと説明されている。

 

そのいっぽうで、約100年前に発行された地形図には毛無山の表記はない。一等三角点の印が印字されているのみである。そもそも尾根伝いの道そのもの記載もなく、山梨県側から静岡県側へと地蔵峠を越えていく峠道のみ明記されている。

 

しばしの休憩を終えると、毛無山から麓集落への苦労を強いられるきつい降り道が待っている。約2時間、落差約60mという見事な不動ノ滝を眺めながら急斜面が続く道を慎重に下りきると、麓集落の入り口に金山の鎮守として祀られたのであろう神社がある。そのかたわらにはかつて鉱石などを破砕するための機械が無造作に放置されていた。

 

これらは近代になって鉱脈が発見されたことで、ふたたび採掘が行われたときに使われたものであるという。おそらく今日の僕たちと同様に、一攫千金を狙って金鉱山を目指した人たちが押し寄せたのであろう。そのなかには、なんの価値もない石ころくらいしか見つけることができず落胆して故郷へと帰っていったものたちも多かったであろう。僕たちも、そんな彼らと同じような気分になりながら、金塊を見つけることができずに中山金山への旅を終えるのであった。

 

 

文◎村石太郎 Text by Taro Muraishi
撮影◎宇佐美博之 Photographs by Hiroyuki Usami

取材日/2025年5月7日

 

(次回告知)

次回の「The Classic Route Hiking」は6月18日(水)更新予定です。第三十一話で向かうのは、黒曜石や褐鉄鉱などさまざまな鉱物が産出された八ヶ岳へと向かいます。

 

 

 

(アクセス方法ほか)
ACCESS & OUT/山梨県側にある出発地点は、JR身延線の下部温泉駅とした。ここから毛無山の登山口まで約2時間の舗装路歩きとなる。下山は、静岡県側の麓集落である。集落付近には公共交通機関はないが、国道139号線沿いに富士急静岡バスの「朝霧グリーンパーク入り口」などのバス停がある。ここからは富士宮駅、新富士駅へと向かうことができる。

 

「The Classic Route Hiking」では、独自に各ルートの難易度を表示しています。もっとも難易度が高い★★★ルート(3星)は、所要時間が8時間以上のロングルートとなります。もっとも難易度が低いのは★☆☆ルート(1星)となり、所要時間は3〜4時間、より高低差が少なめの行程です。

 

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