The Classic Route Hiking

道志村の少年が炭を運んだ道

道志村の少年が炭を運んだ道

 

第五話

道志村の少年が炭を運んだ道

 

所要時間:約7時間00分

主要山域:菜畑山、今倉山(山梨県)

難易度:★★☆

 

AXESQUIN ELEMENTSでは、かつて山間の集落をつなぐために使われていた生活の道を“クラシックルート”と命名して、古くも、新しい歩き旅を提案する。第五話となる今回は、昭和のはじめ、道志村で盛んに行われていた炭焼きを手伝った子供たちが、貴重なエネルギーとしての炭を運んだ山道を歩く。

 

道志村の和出村集落で旅館「日の出屋」を営む佐藤光男さんは、両親から聞いたという昭和のはじめ頃の話を思い出しながら聞かせてくれた。

 

「私の父親が一番びっくりしたと言っていたのは、峠から見た都留の街だったそうです。道志村から都留に向かう県道24号線は、街に出る直前に都留トンネルができています。でも、昔は街に出る少し手前で、ちょっとした山を越えていく必要があったんです。父親はそこで、あんなに広い景色は見たことがないって思ったそうで。とにかく、びっくりしたって言っていました。この村は、道志川を挟んで右も、左も山に囲まれている小さな谷間ですから、地球全体を見渡しているような気分だったと話していましたね。そしたら一緒にいた友だちが、『バカヤロウ、違うわ。あそこは甲斐国だ』って。そういう笑い話を、よく聞かされてました(笑)」

 

現在の県道24号線「都留道志線」は全線がアスファルト舗装された立派な道路になった。途中から急カーブが続く峠道となるが、かつての難所だった道坂峠を貫く道坂トンネルも整備されている。しかし昭和中頃まで、道志から都留へ向かうには馬や牛が通れるだけの山道を歩いていく以外方法はなかった。それでも、それ以前から村人が利用していた尾根道に比べれば、はるかに短い時間で安全に都留の街へと歩いていくことができたのだ。

 

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僕たちは、佐藤さんの昔話を聞いたあとで、さらに昔の子供たちが歩いたと思われる尾根道を辿って道志村から都留市の中心部まで歩くことにした。出発点としたのは、日の出屋旅館への最寄りの停留所となる富士急行のバス停「和出村」である。

 

僕がこれまで多くの山村で聞いてきたのは、生活の山道は時代とともに通る場所も、目的も変わっていくということであった。道志村から都留への道も、大正13年に道坂峠を貫通する旧道志隧道が完成すると、利便性が大きく改善した。それまでは、尾根道を通って隣町や隣村へと出かけていったものだ。そう多くの人たちが口を揃える。谷の道は、洪水や落石などが起こったり、川に流されたり、滑落したりといった事故の危険が多いためである。

 

バスを降りて国道を津久井側に5分ほど歩いていくと、新緑に覆われた森のなかに真っ赤な鳥居を見つけることができる。苔むした階段を上っていくと、天照大神を奉った和出神社の本尊がひっそりとたたずんでいた。ここで今日一日の安全を祈願すると、谷間の集落が広がる景色のなか小道を伝って菜畑山へと向かった。

 

「至・菜畑山」

「大久保方面・時間135分」

 

小道から菜畑山へと向かう道標を見つけて、杉林のなかに通された登山道を進んだ。伐採された切り株は、よく苔むしている。谷間であるため、湿度が保たれやすいのだろう。日陰になった杉林から、朝日が透ける新緑を広げた落葉樹林帯へと植生が変わりはじめる。すると道志の集落を見渡すことができる展望地に出た。そこからは、木の葉に隠れてしまっているためだろう、自動車が走る県道はほとんど見えずに隠れてしまっている。

 

その景色は、数十年前の道志村を見ているかのようだった。当時の道志村は養蚕が盛んで、各家庭にはそれぞれ機織機が置かれ、農作業のあいまに着物や布団などに使うための生地を織っていたそうだ。中学生になると、子供たちは一人前の働き手となり、農作業や炭焼き、養蚕といった仕事を手伝った。

 

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展望地からまもなくすると、山梨百名山に数えられる標高約1,283mの菜畑山の山頂へと到着する。いま来た道を振り返ると、雪化粧をした富士山が鎮座していて、木々の隙間から富士吉田口から頂上に向かう登山道がジグザグに伸びているのがはっきりと見えた。

 

菜畑山からの尾根道は、ほどよくアップダウンを続ける快適な道である。ときおりあらわれるブナの大木に目を奪われながら、早春の稜線歩きを楽しむ。これまでモノクロームの世界に包まれた冬景色ばかりを見てきた目には、初々しい新緑の葉っぱが眩しいぐらいである。

 

道坂峠へと向かう分岐点がある今倉山の東峰に到着すると、真横に伸びた太い枝のうえに座って軽食を口にした。そこからは、今倉山の西峰、西ケ原、松山(赤岩)、中ノ沢ノ頭と標高1,400m前後の稜線歩きが続く。途中の松山では、山頂にちょっとした岩場があり、道志村から都留市へと続く県道24号線と菅野川沿いの景色を見渡すことができた。

 

「炭を売りに都留に行くときは、朝4時頃に村を出ていったなんて聞きましたよ。それで、炭焼きをしている子供たちの顔は真っ黒くなるから、みんな炭を売りに来たって分かるんだって。昔は、都留市の駅の周辺よりも、ひとつ先の谷村町駅のあたりのほうが栄えていたらしいんです。その近くにある金物屋さんで『壽美屋』ってところがあって、そこに炭を売りに行っていたそうです」

 

佐藤さんによると、道志村の和出村集落に住む80〜90代のお年寄りたちには、こうした経験を持つ人が多いのだという。佐藤さんの近所に住む御老人は、小学生の年少のときに、年長の先輩とふたりで家で焼いた炭を担いで峠を越えて都留まで歩いたと言っていた。

 

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佐藤さんは、父親が都留ではじめて食べたアイスクリームを土産として道志村に持ち帰ろうとした逸話を思い出すと、顔をほころばせながら話をすすめた。

 

「炭を売った代金でね、アイスクリームを買ったらしいんだ。きっと美味しかったんでしょうね。それで道志まで土産に持って帰ろうとしたら、途中で溶けてなくなってしまったなんて話を聞きましたね。そのときまでアイスクリームなんて食べたことがなかったから、まさか溶けてなくなるとは思ってなかったんでしょうね(笑)」

 

松山から徐々に標高を落としてまもなくすると、二十六夜山の山頂へと到着する。この標高約1,297mの山では、江戸の時代の人々が陰暦の1月と7月の26日の夜に集い、月の出を待つ二十六夜待という行事が行われていたという。この日の夜半、阿弥陀仏が観世音菩薩と勢至菩薩を引き連れて、月光のなかに現れると伝えられ、その姿を拝むと日頃の願いがかなうと信じられていたのだ。

 

都留の町人たちは、この日を待ちわび、月の出を待ちながら二十六夜山の山頂で呑めや、歌えの大騒ぎをした。御上に咎められることなく大酒を飲むことができる、町人にとっての一大イベントであったのだ。

 

そんな逸話の残る二十六夜山からは、戸沢集落がある金山神社まで徐々に標高を落としていくことになる。途中には、仙人水と名づけられた湧き水があり、僕たちはここで足を止めて岩の隙間から勢いよく流れている石清水を手ですくって喉を潤した。さらに降った矢名沢の源流部には小さな石祠があり、そこでしばし腰を下ろして爽やかな微風で少しほてった体を冷やした。

 

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金山神社までは、道志の和出村集落からヤツグミ沢沿いを登って、本坂峠(道志口峠)を越えて行く山道も使われていたと聞く。この道は険しく、荷物を持たずに急ぎ足で歩くときに使う早道であったという。また、かつては二十六夜山から、都留道志線と平行する菅野川まで直接降っていく山道もあった。しかしいずれも、安全で効率的な道路やトンネルが整備されるなどしたため、次第に歩く者も減って廃れてしまった。

 

金山神社から都留市の中心部までは、1時間ほどの車道歩きとなる。僕たちは、最後に谷村町駅近くにある「都留市商家資料館」へと向かうことにした。都留の街は、絹商いで有名で、道志の子供たちが炭を売りにいった壽美屋はいまも営業を続け、この都留市商家資料館から200m弱の距離にある。

 

都留市商家資料館は、この地で絹問屋として財をなした仁科源太郎の住居跡を保全したものだ。木製のガラス戸を開けて大正中期に建てられたという間口の広い建物に入ると、甲斐絹職人たちから届けられた絹織物の柄や長さ、品質を確かめたという大座敷があり、その奥には洋風の応接間がある。

 

道志村から佐藤光男さんの父親が都留の街へやってきたとき、その空の広さに加えて城下街の活気にも驚いたことであろう。道志村は、いまも昔と変わらず都会とはまったく異なる時間が流れる山間の村である。今日の朝、山道を越えてきただけの僕たちでさえ、静かな道志村がどこか懐かしい。そんな感傷にふけりながら、少し疲れた身体を癒やそうと手にしたアイスクリームを口にして、沈みかけた夕日を眺めなら帰路につくのであった。

 

文◎村石太郎 Text by Taro Muraishi

撮影◎松本茜 Photographs by Akane Matsumoto

取材日/2021年5月22日

 

【次回告知】

第六話目の「The Classic Route Hiking」は4月20日(水)更新予定です。昭和13年にトンネルが開通するまで山梨県の大月市側と甲府市側の宿場街をつなぐ旅路として利用され、甲州街道における最大の難所ともいわれた笹子峠を歩きます。

 

 

ACCESS & OUT/出発点とした和出神社までは、富士急行の都留市駅からバスに乗って「和出村」バス停へと向かうのがもっとも近い。ただし、都留市駅から和出村までの路線バスは午後便しか運行されていないため前泊、もしくは自家用車で道志村へ向かい、帰路に午後のバスで車をピックアップしにいくのがよい。帰路は、「都留市商家資料館」に立ち寄ったあとで富士急行の都留市駅、もしくは谷村町駅へと徒歩で向かうといいだろう。

 

「The Classic Route Hiking」では、独自に各ルートの難易度を表示しています。もっとも難易度が高い★★★ルート(3星)は、所要時間が8時間以上のロングルートとなります。もっとも難易度が低いのは★☆☆ルート(1星)となり、所要時間は3〜4時間、より高低差が少なめの行程です。