The Classic Route Hiking

甲州街道峠道(1) 笹子峠越え

甲州街道峠道(1) 笹子峠越え

第六話

甲州街道峠道(1) 笹子峠越え

 

所要時間:約4時間30分

主要山域:笹子峠(山梨県)

難易度:★☆☆

 

AXESQUIN ELEMENTSでは、かつて山間の集落をつなぐために使われていた生活の道を“クラシックルート”と呼んで、古くも新しい歩き旅を提案する。第六話は、昭和13(1938)年にトンネルが開通するまでふたつの宿場街をつなぐ旅路として利用され、甲州街道における最大の難所ともいわれた笹子峠へと向かった。

 

「次の停車駅は笹子。ササゴです」

 

新宿駅を出発してから1時間40分。JR中央本線の甲府行き車両は、笹子駅に到着した。駅のホームから無人の改札口へと向かうと、乗ってきた車両の扉が閉まり、次の停車駅となる甲斐大和へと向かっていった。コトンッ、コトンッと小気味のいい音を響かせる車両は、次第に速度を速めて遠ざかっていった。

 

車両が甲斐大和駅に到着するまでには、全長4,656mの笹子トンネルを通り抜ける。僕たちは、このトンネルがつらぬく笹子峠を徒歩で越えていく。この峠道は、江戸幕府によって整備された五街道のひとつである甲州街道の中間地点にあたり、黒野田宿(現在の山梨県大月市)と駒飼宿(同甲州市)というふたつの宿場街をつなぐ街道における最大の難所であった。

 

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笹子駅を出発すると、大正8(1919)年創業という酒蔵「笹一酒造」へと向かうことにした。笹子駅からは徒歩5分。酒蔵に併設された直売店で手にしたのは、純米吟醸酒の「夏純米吟醸」である。これから歩きはじめるわけだけど、手土産にひと瓶買って帰ろうというわけである。

 

「笹一」の由来は、笹子の街で一番の酒を造るという願いを込めての命名なのだという。かつて峠道を歩いた旅人たちも、うまい酒を手に入れて夜の晩酌を楽しみにして家路へと急いだのではなかろうか。

 

バックパックに酒瓶を入れるのと交互して、水筒を取り出して敷地内に流れ出る「御前水」で飲み水を補給する。この水は、笹子峠からの伏流水を汲み上げたものだそうで、江戸時代には茶人たちがわざわざここまで水飛脚を立てて取り寄せたという。笹一の日本酒も、この水を使って作られている。

 

水筒に御前水を満たしてから、ひとくち口に含むと江戸時代とは様変わりした甲州街道の舗装路を峠道へと向かった。自動車が絶え間なく通過する国道20号線から脇道に逸れ、味わいのある石造りの欄干がつけられた橋を渡る。昔の甲州街道の跡である。そこからは川の向こうに、笹子トンネルに入っていく中央本線の鉄橋を眺めることができる。

 

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国道が右に大きくカーブする手前で県道212号線(日影笹子線)へ歩を進めると、消えかけた文字で「甲州街道」と書かれた木製の道標を見つけることができる。僕たちは、この道標に従って杉林のなかへと誘い込まれていった。

 

峠までの山道は、いったん舗装路となるもののふたたび山道となり、途中には茶屋が建てられていた石積みの跡がある。そこからまもなくすると、樹齢千年を超えると伝えられる「矢立の杉」である。

 

大樹のもとに作られたウッドデッキのテーブルに腰掛け、笹子で買ってきた笹子餅と保温ポットを取り出して、しばしの休憩とした。矢立の杉の名は戦国時代に由来があり、笹子峠を通って合戦に赴こうとした武士が武運を祈って、この杉に矢を射ったことから命名されたという。江戸時代末期には、葛飾北斎が描いた「富嶽三十六景・甲州三島越」のほか、二代目歌川広重も「諸国名所百景・甲州矢立杉」で浮世絵のモチーフにしている。

 

清涼な風に吹かれながら笹子餅を口にしていると、笹一酒造のあとに寄った「みどりや」の店番がしていた話を思い出した。もともとの笹子餅は、この矢立の杉の近くにあった茶屋で売られていたものなのだという。

 

「昔は、峠を越えてきたりだとか、峠を越える前に力餅として召し上がったと聞いています。もともとは、峠の力餅と呼ばれていたそうですよ。トンネルができるまでは歩くのも大変だったでしょうね。中央線が開通して峠を歩く人がいなくなってしまったことから、明治38年にここに移転したのがいまの『みどりや』なんです」

 

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休憩を終えてふたたび歩き始めると、堂々とした笹子隧道が見えてきた。竣工は、昭和13(1938)年とある。それまで笹子峠を徒歩で越えるほかは、国鉄を利用するほかなかったのである。東海道に次ぐ街道であったにも関わらず、昭和初期まで自動車など徒歩以外での峠越えができなかったことに驚かされる。

 

隧道の右手には、笹子峠へと続く山道が延びている。ゆっくりと登り道を歩いていくと次第に空が明るくなり、視界が広がった。峠を越えるときにいつも感じるのだけれど、山のこちら側と、山のあちら側の景色ががらりと変わる瞬間にちょっとした感動を覚えるのである。峠を越えると風の流れも変わり、日の当たり方も変わり、天気だって異なることがある。

 

災難や苦境などから物事が反転することを「峠を越す」と言うけれど、苦しい登り坂を終えて、降り道への境界となる峠へと辿り着いた安堵感は、山の頂を目指す登山とはまた異なる魅力がある。

 

今日の目的地、甲斐大和駅までここからは降り坂が続くことになる。峠を越えて山道を進み、いったん舗装路に出るとすぐに「甲州街道峠道」と書かれた道標を辿る。笹子沢川沿いに作られた山道は、苔むした石積みの土台につけられた木橋をわたっていく。相当な年代を経ており、江戸時代に歩かれていた甲州街道から使われてきた石積みなのであろう。その途中には、「甘酒茶屋」や「桃の木茶屋」といった茶屋跡もある。

 

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ヒノキ林のなかに通された山道は徐々に標高を落としていき、最後は甲斐大和駅までの舗装路歩きとなる。舗装路を1時間ほど進むと甲州街道の宿場街のひとつ、駒飼宿があった日影集落へといたる。

 

「本陣」

「豆腐屋」

「油屋」

「甘酒屋」

「縄屋」

「穀屋」

「寿司屋」

 

江戸時代の面影をいまも残す集落の入り口には、屋号で呼びあった時代の絵地図が置かれていて、賑わいをみせた当時の景色を想像させられる。

 

「宿場街について甘酒を飲んで一息入れたり、寿司をつまんだりしたら……。それは、それはいい気分になるだろうなぁ」

 

絵地図を見ながら昔の旅人に思いを巡らせ、ひっそりとした集落を歩いていく。すると、なんと庭石に白文字で「寿司屋」と彫られた民家があった。こんなところに寿司屋があるわけがない。でもしかし、「寿司屋」とあるのだから、いまも営業をしているかもしれない。

 

終点となる甲斐大和駅までは、舗装路を進むだけである。ならば、生ビールで喉を潤したあとで帰路につきたい。そんな思いで必死に店の入り口を探すものの、どこにもそれらしき建物はない。庭のなかへ歩いていってみるものの、番犬に吠えられて退散するほかなかった。

 

今日歩いてきた峠道は、明治36年に中央線が開通するとともにトンネルが誕生して以降、歩く人も激減していった。昭和13(1938)年には、笹子隧道ができ、さらに昭和33(1958)年になると国道20号線の新笹子隧道(現笹子トンネル)が開通する。中央自動車道の着工後、昭和52(1977)年には時速80kmで通り抜ける笹子トンネルも完成した。

 

笹子峠は、中央自動車道から遡ること五世代前の峠道である。いまこの山道を歩く人は多くはないけれど、スピードを追い求め、便利になりすぎた現代生活のありがたさを思い出すために峠を越える苦労を味わうのもいいものだ。そんなことを思いながら峠越えの旅を終えるのであった。

 

文◎村石太郎 Text by Taro Muraishi

撮影◎松本茜 Photographs by Akane Matsumoto

取材日/2021年6月10日

 

【次回告知】

第七話目の「The Classic Route Hiking」は6月15日(水)更新予定です。甲州街道峠道の後編として、小仏峠を越えて神奈川県相模原市から東京都八王子市へと向かいます。途中には、登山客で賑わう景信山へと寄り道をしながら、いにしえの旅路を歩きます。

 

ACCESS & OUT/出発点とした笹子駅から、国道20号線の歩道を歩いて県道212号線(日影笹子線)にある「甲州街道」の道標までは徒歩で約45分。富士急バスの「新田下」バス停を利用して、JR大月駅から街道の入り口へ向かうこともできる。終着後は、JR甲斐大和駅から帰路に向かおう。

 

「The Classic Route Hiking」では、独自に各ルートの難易度を表示しています。もっとも難易度が高い★★★ルート(3星)は、所要時間が8時間以上のロングルートとなります。もっとも難易度が低いのは★☆☆ルート(1星)となり、所要時間は3〜4時間、より高低差が少なめの行程です。

 

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