The Classic Route Hiking

甲州街道峠道(2) 小仏峠越え

甲州街道峠道(2) 小仏峠越え

第七話

甲州街道峠道(2) 小仏峠越え

 

所要時間:約6時間00分

主要山域:景信山、小仏峠(東京都・神奈川県)

難易度:★★☆

 

AXESQUIN ELEMENTSでは、かつて山間の集落をつなぐために使われていた生活の道を“クラシックルート”と呼び、古くも、新しい歩き旅を提案する。第七話は、甲州街道において、江戸へと向かう関所として最重要視されていた小仏関へといたる峠道であり、明治21(1888)年に大垂水峠を越える国道(現国道20号線)が開通するまで江戸へと向かう重要拠点とされた小仏峠を越える。

 

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大型トラックや路線バスが行き交う国道20号線を避けるようにして、民家が並ぶ裏道を歩いていく。大きな木々に覆われた丘の上へと続く階段があり、いま来た道を振り返れば中央本線の線路を見下ろすようなところになっている。そこへやってきた特急列車が、丘の下を通るトンネルへと吸い込まれていった。

 

さらに坂道を登っていくと、下り坂となったのちに国道と合流する。そこからは、これから目指す小仏峠がはっきりと見わたすことができた。

 

「まだ、ずいぶんと遠いなぁ。ここから、だいぶ登るのか……」

 

かつての旅人たちもきっと、そんなことを考えながら峠道へと向かったのではなかろうか。国道に合流して、20分ほど歩いていくと甲州街道の9番目の宿場街として栄えた小原宿の本陣跡がある。ここには小仏峠を越えるための関所があり、神奈川県の重要文化財に指定される築400年の本陣跡は参勤交代の際に大名や役人たちが泊まる建物であった。

 

小原の地名は、もともとは尾原とも呼ばれていたそうで、小仏峠を越えて降り道を降りきったところで“尾っぽ”のように少し開けた場所であったことからそう呼ばれたという。鮎が評判であった小原宿だが、江戸時代の浮世絵師である歌川広重は、「値段が高く、マズい」と評していたようだ。

 

本陣跡をあとにすると民家はまばらとなり、底沢橋の手前にある「山峡のいで湯・美女谷温泉」の看板に従うように左手の脇道へと歩を進めた。はるか上方には中央自動車道の高架橋が掛けられており、時速80キロで慌ただしく通り抜ける自動車のタイヤ音が谷間に作られた集落にこだまする。

 

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中央自動車道の高架橋を越えると、森のなかに広がる底沢集落へと誘い込まれていく。集落からの道は、「小仏峠 2.5km」という道標にあるように右手へと折れて、徐々に標高を上げていく。本格的な峠道となるのは、まもなくである。

 

中峠茶屋という茶屋跡を見ながら約40分、汗を拭いながら小仏峠へと到着した。ここにも茶屋跡が残されており、周囲には地蔵や石祠などが散在している。峠道を越えてきた旅人たちで、かつては大賑わいしていたことであろう。ひっそりと静まりかえった小仏峠で、僕たちは茶屋跡のそばに備えつけられたベンチに座わり、微風に吹かれながらほてった体を冷ました。

 

小仏峠からは、少し寄り道をして景信山の山頂を踏むことにした。ここから景信山までは約40分。山頂を踏んでから峠に戻ってきてもよいし、そのまま下山道へと向かってもよい。

 

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山頂直下には、敷地いっぱいにベンチがずらりと並べられた景信茶屋がある。ここは展望台のようになっていて、天候に恵まれれば富士山や高尾山までの展望を楽しむことができる。

 

「なめこうどん・そば 500円」

「とろろうどん・そば 500円」

「きのこ入りラーメン 500円」

「なめこ汁 250円」

「味噌でんがく 300円」

「茶屋の天ぷら 300円より」

 

奥にある茶屋へと向かい、ずらりと並べられたメニューの前に立った。瓶ビールや日本酒まである。眺めのいい山頂で、汗をかいたあとのビールだなんて最高の褒美である。けれど、まだこれから下山道を歩かなくてはならない。ここは、我慢である。

 

なめこそばと茶屋の天ぷら、味噌でんがくを注文して奥のテーブル席に腰掛ける。3代目店主の青木宏之さんは、彼の祖父が戦前に茶を出したのが景信茶屋のはじまりだと話す。当初は、沢で汲んだ水をためて、湯を沸かして茶を出していたという。

 

「食事もできるようにしたのは父親が引き継いでから。はじめは、なめこ汁とか、うどんとか。あとはラーメン。ここまで荷揚げ用の台車が使えるようになってから。注文してもらった天ぷらとか、蕎麦とかは最近。自分の代からですね」

 

景信茶屋といえば餅つきが有名だが、5月の大型連休、8月のお盆、忘年会シーズンなどに大勢が集まって宴会のようになる。もともとは、贔屓にしていた客からの依頼で始めたという餅つきは、10名以上揃えば予約を受けつけており、例年は12月から1月にかけては予約がいっぱいだ。

 

「4月末から5月の連休にかけて、ここらへんは桜が咲く時期なの。お餅つきは、その時期も人気がありますね」

 

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しばしの休憩を景信茶屋で過ごした僕たちは、下山道へと向かうことにした。

 

山頂からは、40分ほどで小仏のバス停に到着する。ここで路線バスに乗って高尾駅に向かってもよいけれど、駅までには滝修行の蛇滝信仰に務める人たちのために示した「高尾山道」などの石碑、高尾山への参詣者が使った旅籠屋跡があり江戸時代の甲州街道について学ぶことも多い。

 

江戸後期に「ふじや新兵衛」と呼ばれた旅籠屋跡の軒先では、講札がぎっしりと張られているさまを見ることができる。蛇滝信仰では、高尾山ケーブルカーの山頂駅から北側へと降ったところにある蛇滝を本尊としており、いまから300年ほど前から滝修行の場として整えられた。その蛇滝への分岐点にあるのが「高尾山道」の石碑であり、かつては金比羅台を経由する尾根道同様によく歩かれた道であっただろう。

 

旅籠屋跡からまもなくすると、小仏峠越えの終着点ともいえる駒木野宿の小仏関跡へと辿りつく。甲州街道においてもっとも重要視されていた関所であり、宿場街としては小さな小仏宿と業務を分担していたという。この関所では、鉄砲の出入りや大名の妻子の逃亡などがとくに監視されており、関所破りにはなんと“はりつけ”の罪が課せられていたそうだ。ちなみに、小仏とは高尾山薬王院開山の祖である行基菩薩が今日降りてきた下山口の近くに建てた宝珠寺に、小さな仏を安置したことから呼ばれるようになったという。

 

江戸への出入りが厳しく制限されていた時代を思いながら、複雑に入り組んだ中央高速道の八王子ジャンクションを眺める。高尾駅に到着すれば、景信山では我慢したビールを注文して乾いた喉を潤すことができる。

 

このとき以来、僕は高速道路の小仏トンネルの入り口に差し掛かると、この峠道のことを思い出すようになった。涼しい車内でハンドルを握りながら、大汗をかきながら苦労して越えた今日の出来事を思い出すのである。

 

文◎村石太郎 Text by Taro Muraishi

撮影◎松本茜 Photographs by Akane Matsumoto

取材日/2021年7月10日

 

【次回告知】

第八話目の「The Classic Route Hiking」は7月27日(水)更新予定です。東京の檜原村へと向かい、重要文化財として保全されている古民家「小林家住宅」の人たちが馬を引きながら絹糸や炭を運んだ山道を歩きます。

 

ACCESS & OUT/出発地点としたのは、JR中央本線の相模湖駅である。そこから国道20号線沿いに歩き、小仏峠を越えていった。終着点は、JR中央本線と京王高尾線の高尾駅とした。高尾駅までは、景信山から下山道を出てすぐの小仏のバス亭から路線バスに乗るか、今回のように徒歩で向かってもいいだろう。また、峠道をじっくり歩きたいという人は、小仏峠を越えてからそのまま高尾方面へ向かってもよいし、景信山に登ったあとで小仏峠へと戻ってから下山道に向かってもいいだろう。

 

「The Classic Route Hiking」では、独自に各ルートの難易度を表示しています。もっとも難易度が高い★★★ルート(3星)は、所要時間が8時間以上のロングルートとなります。もっとも難易度が低いのは★☆☆ルート(1星)となり、所要時間は3〜4時間、より高低差が少なめの行程です。

 

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