The Classic Route Hiking

丹波山村の生活を支えた大菩薩峠

丹波山村の生活を支えた大菩薩峠

第九話

丹波山村の生活を支えた大菩薩峠

 

所要時間:約5時間30分

主要山域:大菩薩峠(山梨県)

難易度:★★☆

 

当連載では、かつて山間の集落をつなぐために使われていた生活の道を“クラシックルート”と呼び、古くも、新しい歩き旅を提案する。その第九話となる今回は、山梨県北東部に位置する丹波山村の人たちが、山々に囲まれた村で生活するなかで必需品を得るために使った大菩薩峠へと向かった。

 

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この日、僕たちが降り立ったのは、日本百名山のひとつに数えられる大菩薩嶺(標高約2,056m)への登山口として人気の上日川峠である。JR中央本線の甲斐大和駅から、平日にもかかわらず満員の路線バスに揺られて約40分。到着した停留所の前には、登山基地として100年近い歴史を持つ「ロッジ長兵衛」がある。

 

そこから20分ほど舗装路を歩いていくと、キャンプ指定地のある山小屋「福ちゃん荘」となる。その軒先には軽食のメニューが並び、近くの山で採ってきたシメジや地元産のリンゴが手作りの籠に乗せて売られていた。

 

ところてん 1皿250円

みそおでん 2本入り 1皿300円

もつ煮込み 1皿400円

煮込みおでん 1皿500円

岩魚塩焼き 1人前700円

 

その並びには「樽生ビール」の表記もある。しかしながら、まだ歩きはじめてから20分ほどしかたっていない。ここで休憩するわけにはいかず、軽食と樽生ビールの札に後ろ髪を引かれながら林道を進んでいくのであった。

 

そこからまもなくすると、「賽ノ河原(旧道)」と表記された道標が出てくる。旧道とは、青梅街道の旧道であり、明治11(1878)年に柳沢峠を経由する国道411号線「大菩薩ライン」が開通するまで塩山と丹波山のあいだの交易路として使われていた峠道である。そのまま林道を真っ直ぐに進むのがメインルートだが、僕たちは道標に従って左手の登山道へと進んだ。

 

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この峠道は、丹波山村から大菩薩峠に向かい、上日川峠を越えて大菩薩峠登山口のバス停があるところまで続く。青梅街道は、甲州街道と同様に新宿と甲府を結ぶ道である。距離は二里(約7.8km)短く、関所が置かれなかったため庶民が使う裏道としての利用が多かった。

 

林道との分岐点から旧道を歩いていくと、地図には表記がない分岐点があらわれた。右手側は、消えかかった文字で少々見づらいが「ヒナン小屋」、「サイ(河原旧峠)」、「上り40分、下り20分」と書かれているようだ。はっきりとした字で書かれた左手方面は、「到2000m、神部岩」、「富士見新道」とある。僕たちが向かうべきは右手側の登山道であろう。

 

そこへちょうど、ひとりの登山者が同じ道を登ってきた。その彼に道をたずねると、「旧道は、右手です」と快く応えてくれた。

 

「でも、左手もいい道なんですよ。最後はクライミングだけど、いい道なんです。神部岩という岩場があってね。これがいい道なんですよ」

 

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旧道を進み、標高を上げていくと徐々に視界が開けてきて大菩薩嶺へと続く稜線が見えてきた。紅葉したカラマツやカエデの森は、木の葉を落としたダケカンバなどの雑木林となった。

 

まもなくすると賽ノ河原だ。稜線を少し南下した山小屋「介山荘」のところに大菩薩峠があるけれど、この賽ノ河原が昔の峠である。高い樹木のない開放的な稜線。その展望を眺めながら尾根道を登りきると、大菩薩峠にある介山荘が見えてくる。

 

「林道と旧道の分岐のところに、勝縁荘という建物があるんです。あそこで昭和7年、私のじいちゃんが山小屋を建てたの。そのあと、おやじが昭和32年に、ここで茶屋を始めてね。その6年後、オリンピックが開催されたのと同じ年に宿泊所にしたんです。この峠は、冬になると風が強くてね。最初は小屋が建てられなかったんです。それで、まずは茶を出すところから始めたの。当時は第一次登山ブームで、塩山駅まで夜行列車で来て、大菩薩嶺に日帰り登山をする人がすごかったんですよ」

 

介山荘の御主人、益田真路さんは小さな受付から顔を覗かせながら、親子3代にわたって受け継いできた山小屋の歴史について語る。幼少時から父親に連れられて山小屋に来ていた彼は、大菩薩嶺について「大正時代から人気の山だった」と話す。

 

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「東京から近くて、富士山を眺めることができたから昔から大人気だったんです」と話をつづけた益田さんは、自身が子供のころにみた登山者について思い起こす。

 

「私が子供のときは、ここからみんな丹波山まで下っていってね。朝は暗いうちに出発して、その日のうちに雲取山荘まで行っていたんです。このルートを歩こうと決めたら、みんな雨でも必死に歩いたんですよ。まだ週休2日制なんてなかったから、週に一日だけの休みになる日曜日をどれだけ有意義に遊ぶかっていう。そうすると具合が悪くなる人がいたりして。それでここを横になって休憩する場所として利用できるようにしたんです」

 

大菩薩峠と言えば、作家の中里介山が綴った長編小説がよく知られている。この物語を執筆するにあたり、益田さんの祖父が勝縁荘の隣に建てた三界庵に泊まって執筆したこともあった。もちろん、介山荘の名前は中里介山からいただいた。

 

「そのときに、じいちゃんが飯の世話なんかをしたと聞いています。三界庵という名は、ここは日本一の山だ。いや世界一、三界一だといって中里介山さんが名付け親になったそうです。勝縁荘も、同じように名前をつけてもらったと聞きました」

 

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大菩薩嶺から続く稜線は、冬になると強風が吹き荒れる。そのため高い樹木が育たず、笹原が広がる展望に優れた尾根道が続く。ここでは、古くから茅葺き屋根を作るための茅場としても利用されてきたが、牛奥ノ雁ヶ腹摺山、ハマイバ丸、滝子山など、富士山の素晴らしい景色を望むことができる「秀麗富嶽十二景」の山々が連なるとあって、いまも登山者にたいへんな人気である。

 

僕たちは介山荘での休憩を終えると、丹波山村へと続く下山道に向かった。峠から15分程下っていくと、「ニワタシバ」と書かれた案内版がある。ここには、かつて丹波山村の村人たちが交易品を置くための“荷渡し場”があり、塩山から運ばれた米や塩、味噌などを受けとる場所として利用された。丹波山からの交易品は、木炭やこんにゃく、明治期になって村で養蚕が盛んになると絹糸も運ばれた。

 

大菩薩峠から丹波山村へと向かう山道は、快適な稜線歩きが続く。途中には、ニワタシバのほかにも「フルコンバ」、「ノーメダワ」などの不思議な響きの地名が地図に明記されている。ニワタシバの“荷渡し場”のほか、フルコンバの由来は“古木場”や“古飯場”など諸説があるけれど、ノーメダワについては、丹波山の人たちも由来は分からないと、みなが口を揃えた。

 

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この峠道は、青梅街道の最大の難所であるけれど、使われる道は時代によって変わった。地元の人たちは、賽ノ河原の旧峠を「旧丹波大菩薩峠」、現在の石丸峠を「旧小菅大菩薩峠」と呼び、こちらは小菅村からの峠道として利用していたようだ。なお、小菅村から小菅川沿いを歩いて、フルコンバで尾根道に合流するルートは比較的近年になってから使われるようになった道である。

 

この旅も、まもなく終盤だ。峠から4時間ほど下った高尾天平の広い尾根道を進んでいくと、最後は丹波山村と小菅村をつなぐ峠道「県道18号線」の舗装路へと向かう急斜面を下っていく。峠付近では木の葉はすっかり落ちていたが、このあたりではふたたび紅葉した木々に包まれるようになった。

 

標高1,000m前後の山の谷間に作られた丹波山村の世帯数は現在300ほど。住民は約500人という。かつては2,000人前後の住民が住んでおり、村では農業が盛んに営まれ、山から運んだ木々で炭作りを行っていた。現在、食堂や宿屋が点在する青梅街道沿いには、かつて養蚕をしていたと思われる民家も並んでいる。

 

定刻どおりにやってきた路線バスに乗り込むと、さきほど歩いてきた道を振り返る。すると、村のすぐそばまで迫る山肌が真っ赤な夕日で染まっていた。バスが発車すると家々が次第に遠くなっていき、昔の宿場街の風情が残る丹波山村が山のなかに消えていくのであった。

 

文◎村石太郎 Text by Taro Muraishi

撮影◎松本茜 Photographs by Akane Matsumoto

取材日/2021年10月28日

 

【次回告知】

第十話目の「The Classic Route Hiking」は10月26日(水)更新予定です。急峻な山並みに囲まれた東京都檜原村に住む少女が、かつて散髪をするために山の反対側にある小河内村へと歩いた山道を辿ります。

 

ACCESS & OUT/出発地点とした上日川峠へは、JR中央本線の甲斐大和駅から路線バスを利用した。より長く歩きたい場合は、塩山駅から路線バスで大菩薩嶺登山口へと向かうといいだろう。その場合は、歩行時間が2時間ほど増える。帰路は、青梅街道沿いのバス停「丹波」で路線バスに乗り、JR青梅線の奥多摩駅へと戻ることにした。

 

「The Classic Route Hiking」では、独自に各ルートの難易度を表示しています。もっとも難易度が高い★★★ルート(3星)は、所要時間が8時間以上のロングルートとなります。もっとも難易度が低いのは★☆☆ルート(1星)となり、所要時間は3〜4時間、より高低差が少なめの行程です。

 

 

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